獨協大学同窓会 埼玉県支部
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『岩崎充益の教育談義』  第1回~ 2022/04/27



★第34回 小学生はなぜ皆ランドセルですか?

 
最近、海外からの旅行者を日本の名所旧跡をガイドすることが多い。彼らが一様に驚くことは、どこもごみ一つなく綺麗だと言う事。信号を無視する人はいない、電車に乗るときも整列している。車内ではスマホで話す人がいない。とにかく、東京は安全である。

 そんなある日、小学生はなぜみな同じbookbag(ランドセル)を持っているんですかと質問された。男の子は黒、女の子は赤のランドセルを背負っている。年長の小学生は下級生の世話をしている。列が乱れないよう一列になって通学している。

 そこでランドセルの歴史を紐解いてみた。
 ランドセルは何と150年前にさかのぼる。1877年日本の近代教育の整備が進む中、最初に学習院が通学用のカバンとして使用したのが始まりである。1920年頃から1950年頃までは布製や革製のランドセルが使われていたが、一般には普及していなかった。1960年代になり全国的に今のランドセルが普及した。今ではより軽量な素材のランドセルや様々な色彩のランドセルに人気が集まっている。

 ランドセルの事を考えていると日本の公教育との関連性が見えてきた。ランドセルは祖父母が贈呈することが習わしとなっている。会社によっては就学時の子どもがいる社員にランドセルを贈るところもある。ソニーなどは社員にランドセルを贈呈することで絆を強くしているそうである。小学校に入学する一つの儀式と考えられている。一部の私立小学校ではあえてランドセルを指定していない。それを売り物にしている学校もある。

 アメリカの旅行者と話していて気が付くことは、アメリカでは公教育が完全に崩壊していること。先日、サンフランシスコからの旅行者が言っていた。カルフォルニア州では不動産の高騰でホームレスの人々が急増している。その中には学校の先生もいる。

 日本で進行中の新自由主義的教育改革はどこへ向かっているのであろうか。文科省始め新進とみなされる教育評論家の言説に共通することは公共性の観点が欠落していること。

 そんな中、新学習指導要領では「公民」が導入された。「公民」は英語で「citizen」である。公教育の現場では学校教育と社会教育の両面から取り組むことになった。公教育の目的は公民を育てることである。

 しかし、現実社会の振り子は「私事化」へとふれている。私事化と公共性との軋轢が生じ「個性の尊重」「一斉授業の非難」などの言説に見る通り、公教育の場で培うべき公共性が忘れ去られている。

 日本はアメリカの轍を踏まないように、今一度小中学校で培われる共同体を維持する上で必要な「日本人としてのあるべき姿」、「慣習」などといった公共性の意義を再確認する必要がある。

 ランドセルから日本の公教育の意義を考えさせられた。





☆第33回 北欧の教育について語ろう


Ⅰ フィンランドの教育

 私は二十代の頃、北欧に滞在した。ノルウェーの農家に1か月弱滞在し、白夜を体験した。1970年までフィンランド人成人の30%しか高等学校を卒業しておらず、1993年までフィンランドはほとんど経済的に崩壊しかけていた。

 教育と児童への献身はフィンランドの文化に深く根付いており、総合学校設立運動がその根底をなしている。総合学校(ペルスコウル)とは、全ての児童がこれからの社会で生きていくうえで最低限の知識、教養を身に付けるべく設立された。私立市民学校もここに統合される。

 フィンランドは日本と同じくナショナルコアカリキュラムが学校教育の指針となっている。日本と同じく10年に一度改定される。国際学力調査などで評価の高いフィンランドはそのブランド力を生かし「教育の輸出」をしている。

◎デジタル教育に関して:デジタル教材は中学校、高校のほとんどの学校で使用されている。高校修了試験などはデジタルで受験する。1科目6時間から8時間かけるテストもある。最近、一部でやはり紙と鉛筆の方がいいとの声も出てきた。

◎教職人気に関して:フィンランドは職業として教職人気が高い。教職は今でも女の子の一番人気となっている。フィンランドには14大学しかなく、そのうち8大学しか教員養成課程を備えていない。教職人気が高く、教員養成課程では120人の枠に1789人が応募した。(2011年~2012年)

◎教育実習に関して:教育実習は充実していて半年以上従事する事が義務付けられている。

◎教員の資格:教職につくには修士号の習得が義務づけられている。

◎なぜそんなに教職の人気が高いのか:GDPに対する初等教育から高等教育への政府財政支出の割合はフィンランドが5.6%で、日本は2.9%である。(2018年)日本はOECDの中で最も少ない。しかし、フィンランドの教員の給与は決して高くない、教職人気が高いのは労働時間にある。1週間あたりOECDの中学校平均労働時間は38.3時間、フィンランドは33.3時間、日本は53.9時間である。本務は授業だけ。HRや部活動指導はなし。教職には専門教科指導教員とHR指導専門教員がいる。その他部活動指導員もいる。

◎フィンランドの特別支援教育に関して:フィンランドの児童の8%は特別支援教育のニーズがあると言われる。しかし、その半数しか特別支援学校へ通っていない。半数は普通クラスに入っている。特別支援の先生が普通クラスで指導する。特別支援の先生の重要性が高まっている。

◎フィンランド教育の課題:増加する移民が課題となっている。学校によっては8割以上が移民である。


Ⅱ スウェーデンの教育

 スウェーデンはフィンランドと教育の様相がかなり違う。1980年春の年次教員調査によると14万600人の教員が雇用され、そのうち13万514人が現に在職中である。それらのうち11%が非常勤であることを考慮にいれると生徒対教員の比率は11対1である。

 教員の61%は女性である。スウェーデンは学問に対して尊敬の念を持ってきた。例えば村の学校の先生は都市部の講師や校長と同様に医者や法律家と並んで知的エリートの一部を形成している。教職員組合が組織され強い力を持っている。

◎スウェーデン教育の特徴:スウェーデンの国語審議会は2013年「e-sport」を新語として登録した。スウェーデンの教育法は高校生が授業に欠席した場合、学校はその日のうちに保護者に連絡しなければならないと規定している。ほとんどの高校生は返済不要の奨学金を受け取っている。最近組織的カンニング事件が起きた。また、デジタル教育に関し見直しが図られている。



参考文献:「PISAから見る、できる国、がんばる国」OECD編
「フィンランド×日本の教育はどこへむかうのか」北川達夫、高木辰郎著 三省堂
「フィンランド人はなぜ学校教育だけで英語が話せるか」米崎里著 亜紀書房
「スウェーデンの教育」レオン・バウチャー著 学文社
「北欧の教育再発見」中田麗子、佐藤裕紀、本所恵、林寛平著 明石書房




☆第32回 本当に教員の給与は上がりますか?

 5月13日、中教審初等中等教育部会の「質の高い教師の確保特別部会」は教職調整額を現行の4%から10%以上引き上げる方針などを盛り込んだ審議のまとめを文科大臣に手渡した。

 このニュースは大きく取り上げられ、今度こそ教員の給与アップに期待する人が多いと思う。しかし、あくまで、中教審の答申であり、文科省も予算計上をしているわけでない。何より財務省が沈黙を保っているのは、教員給与アップに必要な2100億円にのぼる財源確保は現実味のない数字だからです。

 2023年度の政府案における国家予算は一般会計で114兆3812億円である。そのうち、文教及び科学振興費は国家予算の4.7%である。この金額は全体の国家予算が増加しているのにもかかわらず、減少している。このうち、義務教育負担金は1兆5216億円あてられている。この金額が教職員給与である。
 
 国の一般会計予算に占める文部科学予算の比率を見ると2020年度5.3%、2021年度5.0%、2022年度4.9%と年々減少している。2002年度の8.1%を最高に年々減少している。ここで専門的な話になるが2006年度、小泉内閣のとき三位一体改革の一環として義務教育国庫負担金が2分の1から3分の1に減らされた。必然的に地方の行財政の判断で教員の人件費を決めることになる(総額裁量性という)。わかりやすく言えば財政的に裕福な自治体は教員給与にある程度の予算を計上できる。そうでない自治体は教員の給与は抑え、その分で少人数教育を充実しようとする。
 
 大都市と地方都市では教員給与に差があることはあまり知られていない。小泉内閣の時代に国庫負担金を3分の1にしたことで予算に余裕のある都市部とそうでない自治体との格差が生じた。
 
 結論をいうと、一律に教職調整額10%アップということが可能な自治体とそうでない自治体の差が生じるであろう。国の教育を支える教職を魅力あるものにするには、国庫負担金を2分の1に戻し、教員給与の格差をなくすべきである。

  参考文献:『最新 教育データブック』時事通信社



☆第31回 教師はまぶしい存在であった

 教師という職業は歴史をさかのぼると、憧れの対象でまぶしい存在であった。しかし、教師は生徒より偉いと言う捉え方をすると間違っている。理想の教師は教室で目立たない存在である。私は校長時代、何度も授業観察をしたが、生徒同士で活発に議論をしていて、教師が目立たない授業があった。

 いつから教師という職業はまぶしい存在でなくなったのだろうか。その理由はいくつかあげられる。

1 義務教育の意味を誤解する保護者が増えてきた。義務教育とは親権者が子弟に教育させる義務のことである。しかし、まともにしつけができない親がしわよせを教師に押し付け、そのクレームに対し教育委員会、行政が動くと言う図式が顕著になってきた。特に90年代から先生にお願いしますという風潮になってきた。

2 新しい学校という理念のもと、新自由主義的発想が取り入れられ、公教育の私事化がすすみ、競争原理が定着する。教師あるいは学校を数値で評価し序列をつけた。統一学力テストの結果公表はランク付け、学校間格差につながった。

3 こうした競争原理のなか、学習指導要領の範疇が及ばない私立学校は独自性を標榜し、進学指導なり生徒指導なりを売りに人気を博していく。一方公立学校は市民へのサービス、面倒見のよい教育を売りものにするが、疲弊も増していく。

4 1980年代頃から学校は「行かねばならない所」から「行きたければ行くところ」に変わる。学校バッシング、教師バッシングが激しくなる。

5 グローバリズムを推奨する風潮の中、公教育にはお金をあまり使わず、「選択と集中」つまり、優秀なエリートに国家資源を集中的に投資しようと言う社会になってきている。 

私はコロナの前にアメリカを訪問して教育関係者と話し合う機会があった。皆、異口同音にアメリカの公教育は破壊してしまったと言っていた。日本はアメリカの教育政策を追随してここまで来てしまった。この世界には北欧のように教師がまぶしい存在の国がある。そうした国の教育を模範とすべきである。




☆第30回 言語を学ぶこと

ちょうど今、Paul Austerの“TIMBUKTU”を読み終えた。主人公は人間ではなく犬だが、言語も感情も理解する犬の物語である。18年間飼っていたトイプードルを亡くし、ペットロスになっており読み終えた時、感傷的になった。

テレビのニュースからロシアのプーチン大統領が80%以上の票を得て再選されたことを報じている。言語を学ぶことの意義を考えている。外国語を学ぶことで日本語だけの世界からはばたくことが出来る。外国語がわかれば他国の書物も楽しむことが出来る。

言語はいつ生まれたか専門的なことはわからない。言語とナショナリズムとの関連性を強く感じるのがロシアによるウクライナ侵略であり、イスラエル軍によるガザでの虐殺である。ウクライナ国内でロシア語を話す人々を解放するという名目でプーチン大統領は侵略した。ヘブライ語もアラビア語も同じセム語に属しているが、パレスチナの地にイスラエルの国家を建設した時から、イスラエル人はヘブライ語を自国民のアイデンティティとして確立してきた。

ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』を読むと、今、世界中で展開する紛争の原因を探ることが出来る。その本によると、19世紀後半になると、ヨーロッパでは同一言語を話す共同体を形成していく。相対する政治秩序を形成し、ロシア化、スペイン化などと言われるように言語により他民族を統合していく。1887年にはロシア語はバルト海地方のすべての国立学校で必修科目として位置づけられた。

これを「公定ナショナリズム」と呼ぶ。『想像の共同体』には次のように書かれている。

「公定ナショナリズム」は中世以来集積されてきた広大な多言語領土において、帰化と王朝権力の維持とを組み合わせる方策、別の言い方をすれば、国民のぴっちりとひきしまった皮膚を引き延ばして帝国の巨大な身体を覆ってしまおうとする方策である」p147

ベネディクト・アンダーソンによると、国民はイメージとして心の中に想像されたもので、国民は主権的なものとして想像される。国民は国歌を歌うとき実感するように水平的同士愛として心に思い描かれる。この想像力の産物のため、過去2世紀にわたり数百万の人々が殺し合いってきた、そしていまでも殺し合いは続く。

 参考文献 『想像の共同体』ベネディクト・アンダーソン著 NTT出版




☆第29回 グテーレス国連事務総長からのメール
 
最初に恥ずかしい話ですが、最近実際あった私事にかんする失敗談をお話しします。
Antonio Guterres氏からメールが入りました。ご存じ国連事務総長です。なぜ、私のような無名の日本人にメールが入ったのか不思議に思いました。心あたるふしがあります。LinkedInでグテーレス氏のガザでの紛争に関する記事を読み、さっそくコメント書きました。その記事を読んで私にメールを送ってきたのだと自分勝手に理解しました。

その日は忙しいとのこと、翌日時間を決め、メールを送るとのことです。メールでは情報が漏れると困るので国連専用のIDとラインのアドレスを送るので、オンラインで直接顔を見ながら話したいとのことです。

決められた時間にIDを入力し、オンラインで直接事務総長と話しました。確かにオンライン上の人物はグテーレス氏本人です。話しているうちに、英語のなまりが気になりました。アメリカの教養のない人が使うスラングを使っていたのです。

結論を言います。誰かがAIを使い、グテーレス氏に成りすまし、私にアクセスしてきたのです。恐らく何か金銭的なものを最後に要求してくると思い、ラインは切断し、記録も抹消しました。

ドイツ哲学者、マルクス・ガブリエルは言います。「AIには倫理がない、だから絶対にAIが人間に教えることはないと信じたい」(訪日の際に受けた或るテレビ局のインタビューに答えて)

AIには倫理がないということは、AIが人間の知性を超えるときが来るとしても、人間の心を持つことはないのです。AIが自らAIを生み出し知能の爆発が起こるだろうと、専門家を予測しますが、そこには人と人との心が通い合うつながりはないです。

私が相手をしていた偽グテーレス氏は心がありません。英語を話していたが心と心の関わり合いがありません。アメリカのコロンビア大学学長であるMinouche Shafik氏は次のように言っています。

「In the past, jobs were about muscles, Now they´re about brains, but in the future, they will be about the heart」 (『 The New York Times, Opinion, Feb.15,2024 』より

学校は絶対なくならないと信じています。学校が知識だけを伝授する場としたらAIが代用するでしょう。学校では人と人との関わり合いを学ぶ場です。先生は知識だけでなく、先生の存在、教育観が児童生徒に影響を与え、 彼らを公人として育てていく場です。




☆第28回 生成AIに負けない教師

教師は《ことば》の伝道師です。あえてひらがなで《ことば》としました。この《ことば》は経験をへた言葉の意味です。ところで、生成AIは言葉を理解するのでしょうか。

哲学者であり、生成AIの専門家、次田瞬は次のように言います。「AIアシスタントやチャットボットは言葉の意味を理解せずともふさわしい返答が出来るよう設計開発及び学習されている。AIは《リンゴ》と聞いて、ヒトのように《赤く甘酸っぱい果物》を思い出しているのではない。」(『意味が分かるAI入門』p. 129)

《意味がわかる》という言葉の定義は幅広いので断定的なことは言えないが、AIはけっして人間のように言葉の意味を理解しているとは言えないようです。
言語学者、川添愛は言います。「機械が利用する文脈は《周囲の数単語の字面》ですが、私たちはそれらの単語が外の世界で何と対応しているかという情報も使いことができます。また、それだけでなく、目の前の状況や、過去の体験の記憶も利用します。つまり、機械にとっての《文脈》は《言語の世界》の中だけで完結しており、対象となる単語、また、周辺に現れる単語が《言語の外の世界》で何に相当するかは考慮されません。」

悲観的になる必要はありません。《ソクラテスの家庭教師》と言われる人間の脳を超える生成AIが出現したら、共存していきましょう。道具として利用すればよいのです。私たちが存在しているのは《ことば》があるからです。《ことば》を介して人間同士生き生きと活動しています。《ことば》は時に武器になります。《ことば》の選択に敏感になる必要があります。生成AIもプロンプトに入力しない限り、回答は得られません。

プロンプトに入力する言葉の選択は能力です。国語、つまり母国語の能力はあらゆる知的能力の基盤です。外国語を学ぶにしても母国語の能力がなければ限界が生じます。《ことば》を磨くには母国語で良書を読む必要があります。人生において良書に出会った人とそうでない人と生き方に大きな差が生じます。丁度、鉱山で鉱脈を探し当てるように良書を探すようにしようと思います。
今、世界は権力を主人公にしている国と、《ことば》を主人公にしている国とに分かれます。プーチン大統領は恐怖政治で人民の自由な発言、行動を抑えています。幸い、日本はまだ《ことば》を主人公にしている国に属しています。


参考文献:『意味がわかるAI入門』次田瞬著、(筑摩書房)p.130
      『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット』川添愛著、(朝日出版)p.201



☆第27回 生成AIにない「自助・共助・公助」の精神

 新年早々から天災、人災が日本を襲った。能登半島地震で被災された方々にはお悔やみ申し上げます。翌日の2日、今度は羽田空港で日本航空機と海上保安庁の航空機が衝突、5名の海上保安庁の関係者が亡くなった。海上保安庁の方々は被災地へ救援物質を運ぶ任務にあたっていた。お悔やみ申し上げます。

世界中の人々を驚かせたのは炎上する航空機から400名近い乗客、乗務員が全員無事で脱出したことである。燃えさかる炎の中、客室乗務員の指示に従う乗客の姿が映像で流れていた。誰一人、勝手な行動をすることなく、客室乗務員の指示に従っている。その日、私はCNNニュースでその報道を見ていた。アナウンサーもコメンテーターもこれほど沢山の人が無事に避難できたことに驚きの様子であった。海外からの乗客も興奮した様子でインタビューに答えている。日本からのお土産が棚の上にある。誰一人立ち上がり棚の上の荷物を取ることなく、座ったままなので彼も皆と同じ行動をとったとのことである。

「自助・共助・公助」という言葉が浮かんできた。学校は社会の縮図である。日本では学校という場で規範意識、徳義などを不易なるものとして教育している。しかし、「働き方改革」、「教育はブラック」などと言われそんな不易なる部分の教育が最近軽視されている。

 教育は「人為的な社会化」である。生まれてから家族、近所の人、学校という場で人と人とのコミュニケーションを通じ、生活習慣、しきたりなど身に付けていく。これを「社会化」と言う。最近、「叱り屋さん」がいなくなり地域のコミュニティはやや薄くなりつつある。

知識には形式知と暗黙知がある。形式知とは学校で習う言語、数字など共有化されやすい知識である。暗黙知とは、IT化になっても形にしにくい、かえって形にすることが好まれない知識、たとえば経験知、直観、スキルなどである。

 今、教育現場では形式知も大切だが、暗黙知の重要性が問われている。「自助・共助・公助」の精神は暗黙知であり、生成AIにない知である。



☆第26回  小学校教育は公教育を支える要である

 先日、小学校の授業を見学する機会を得た。1年生の授業では、いかに生徒の注目を先生に向かせるか、工夫された授業であった。漢字をやっていたが、児童の中にはかなり難しい漢字をもうすでに知っている子もいて感心したと同時に、一斉授業の難しさも垣間見ることが出来た。

 次に、4年生の授業を見る。中高でやっている探究的な学びを実践していた。
 今の児童生徒はスマートフォンなどでやり取りをする。必然的に面と向かって言語で人生観、世界観を語り合う機会が乏しい。若者間の対話の喪失を感じる。

 探求的な学びは新学習指導要領の目玉となっている。探求の成否はテーマ設定できまる。生成AIにしても、テーマをプロンプトで書き込まないと答えてくれない。この日見た小学4年生はそれぞれ自分が興味をもつテーマを設定し、図書館などで調べ、この日ポスターセッションの形で発表していた。
 探求的な学びはイギリスではすでにトピック学習で実践している。たとえば「雨」をトピックに選んだとしたら、雨はなぜ降るのか、雨はなぜ大切なのか、児童生徒は図書館などで調べ、皆の前で発表する。

 実はこの学習形態が一時、学習指導要領に取り入れられたことがある。2000年頃である。実際学校現場ではほとんど定着しなかった。一つの理由として教える側の問題がある。こうした探求的な学びに教員は慣れていなかった。もう一方でPISAの成績低下を受け、一部の有識者が学力低下論を流したためである。

 このように学習指導要領は大きく変わっていく。変更の度に学校現場は翻弄する。学習指導要領はミニマム・エッセンシャルだと認識すればよい。

 ところでこの日も優秀な小学校教員の姿を見た。教員採用試験で小学校の受験倍率が下がっていることは魅力の低下と直接結びつかないという研究発表が11月13日の教育新聞に載っていた。東京学芸大学の奥住教授と平田准教授の発表である。

 倍率が下がった、つまり小学校の教員は不人気になったという短絡的な考えは間違いである、という。新成人の人数を見ると00年に164万人だったのが、22年には120万人と27%以上の減少である。一方、小学校受験者数をみると、00年が4万6156人で22年が4万636人であった。新成人に対する割合で約2.8%から約3.8%へ上昇している。

 小学校の教育は公教育を支える要である。



☆第25回 言葉の伝道者

 今年度も本大学から何名かの学生が教員採用試験に合格しました。彼ら、彼女らが受験した埼玉県、さいたま市、東京都などは今年度受験倍率がアップしました。私は今年度も面接指導、論文指導をしました。教職を天職として志す学生がまだいることに安堵しました。しかし、例年より少なくなっています。

 教師はブラックだと言った人の本を読んで感じました。教職を一般の職業と比べ語っています。教職という職業はその特殊性ゆえにスペシャリストと言えないものがあります。弁護士、医師などのスペシャリストとは比肩できません。でも、教職はだれにでもできるものではありません。

 私は孫の学校参観に小学校へ行きました。一人で35名の生徒を相手に問いかけています。その先生の言葉に35人の目が、心が惹きつけられているのです。私は高校教師をやってきましたが、とても真似はできません。

 東京都では小学校で今年度も140名の欠員が出ました。小学校の教員志望者数は増えません。教職と他の職業と同等に比べるところに誤解が生じているのです。しいて、教職と似た職業は農業でしょう。給料を2倍にしても、真の教師志望者は集まらないでしょう。

「教師の仕事は未来を建設する仕事」と言ったのは大村はまです。教師の仕事は児童生徒の声を聞くこと、それも、沈黙の声を聞くことだと彼女は言いました。

 教育行政の整合性のなさ、教師バッシングによる公立学校たたき、使われている税金のコストに見合わないと言って、公教育の縮小と言った、「選択と集中」が今の教育破壊を招いているのです。

 教師の側にも責任があります。知識だけを教えていることが教育だと考えている人がいます。余暇を美術館、音楽鑑賞、図書館などで過ごし専門外の知識に興味をしめさない人が増えています。教師は言葉の伝道者です。この“言葉”は経験を踏まえた言葉です。




☆第24回 教師は「無用の用」に励め

 前回、生成AI の出現により多くの職業がなくなる、と書いた。その中に英語教師も入っている。
 
 ここで視点を変え英語教師など未来の教職について触れてみたい。

 課題を生成AI を使ってやってきた生徒がいても気にすることはない。その生徒に言ってやろう、そんな姑息な手段で課題をこなしているといつまでも希望する学校へ合格出来ないでしょう。なんら自分の力になっていない。
 
 慶應大学の今井むつみ教授が言っている。人間とAI の大きな違いは学習の仕方にある。人間は推論によって知識を増やしていく。赤ちゃんが言葉を覚えていく過程は環境の中からモノと言葉のつながりを推論して身につけていく。AIは最初に膨大なデータを与えられる所から始まる。

 教育現場で生成AIに負けない教授法はここにある。

 赤ちゃんの学びと同じ過程を教室の場で実現するのだ。その日学んだ知識を自分のことばで発表する。知識の概念化が学びの主流となる。

 ディベートの授業が有効になる。読解の授業では行間を読む学びに取り組む。和文英訳では自由英作文を多く取り入れる。ある程度結果が出たら生成AIの結果と比べてみる。

 教師の役目は教える人から手助けする人になる。ここで押さえておくべき点は教師の知識量が要求される。その知識を使って言葉にする概念化が要求される。教師は専門知識以外の幅広い知識を学ぶ必要がある。

 雑務は生成AIに任せよう。研究授業案は生成AIが作ってくれる。確認テストや生徒の英語の添削も生成AIに任せよう。老子の「無用の用」と言う言葉がある。この言葉の意味を噛みしめよう。
 


☆第23回 英語教師受難の時代
 
 シンギュラリティ(技術的特異点)という言葉がある。AIやロボットが急速に進化し、人間の能力をこえた機械が出現すると言うものである。おそらく2045年頃だろうと言われていた。しかし、ChatGPTが出現し、シンギュラリティはもう目前に迫っていると言われている。

 ChatGPTでは問い合わせに対する回答はもちろん、文章の要約、翻訳、校正などこなす。小説、詩なども創作する。さらに、一覧表や発表用のパワーポイントも制作する。
 私は難関大学の英文和訳、要約文の作成、和文英訳などChatGPTを使ってやってみた。瞬時に完璧な回答を得ることが出来た。

 歩くより車を使おうと考えるように人間の脳は楽な方へむかっていく。辞書を引いて難解な英文を訳すより、生成AIを使い完璧な和訳を得ようと考える。学習の現場では、教師より生徒が完璧な英文を書いてくるだろう。教師の代わりにChatGPTの技術を使ったAIと会話する英語学習アプリがすでに登場している。

 小学校、中学校の英語教師の必要性はまだある。英語の文法など基礎を学ぶには日本語での指導が必要となる。高校、あるいは大学で英語の授業はAIが代用できる。生成AIの出現により後期中等教育、高等教育の英語の教師は職を失うかもしれません。

 しかし、悲観的になる必要もありません。あるテーマに対する意見を英語で発表したり、ディベートで自分の考えを交換することは人間の能力の範疇です。その際、facilitator(手助けする人)として教員の役割はあります。

 ちなみに、東大の松尾研究室では東大の世界史の問題を生成AIにやらせたところ、それらしき文章を完成するが、全く事実誤認であると話していました。生成AIの回答のどこがおかしいか指摘できるのは教師の職務です。生成AIの出現を好機と考える必要があります。

 旧態依然のチョーク・アンド・トークだけで授業をしている教師に未来はありません。



☆第22回 学校現場で生成AIの使用制限はできない       
 
 先日、東大教授で生成AIに関して権威者である松尾豊氏に話を聞いた。その話の内容を紹介しよう。教育現場でおおきなdeep learning 革命が生じつつある。東京都はすでに学校現場で生成AIの使用制限している。文科省もいずれ使用制限を出すであろう。学校現場で生成AIの使用制限は難しいであろう。少し長いが松尾豊氏の話を紹介したい。
 
生成AIの仕組み:
 Transformer「自己教師あり学習」が特徴、つまり、途中の文章を入力するとその先の文章を推測する。AIが文章の構造を学習してしまう。AIが予測能力を身に付けている。
人間はAIと違い予測に反するとびっくりする。→コーヒーを注文したところコーラがきたらびっくりする。海外留学の意義はこのびっくりする体験である。

AIにも仮説・検証能力がある:
 「自己教師あり学習」→「報酬モデルの学習」この段階で人間が間違いか、正しいか判断する→「強化学習」褒められる学習、ほめられるとAI能力が強化する。

AIが人間の知能に近づきつつある:
 GPT-3は200億の神経細胞を内包する。GPT-3はあるタイトルを与えると勝手に文を作成する。医学界ではAIが診断する。しかし人間は200兆のパラメーターがあるのでそれには及ばない。しかし、GPT-4が開発された。小説文、音楽、絵画などAIが勝手に創作する。医学界の診断はさらに向上している。これはopen AIといわれ「ソクラテスの家庭教師」と言われる。

 いずれGPT-5が開発される。莫大の量の知識を丸暗記する。次の単語を推測する能力が優れ、小説も書く、会話文も自由に作る。絵も描く。中国ではすでに中国製の生成AI(悟道)が完成している。人間のパラメーターに近づいている。

今後社会はどう変わるか:
 今あるホワイトカラーの仕事の80%はAIにとって代わる。入試問題など生成AIはいとも簡単に解く。感想文等得意分野である。あるテーマをあたえれば生成AIが勝手にプレゼンテーション用パワーポイントを作ってくれる。テスト問題も勝手に作る。松尾研究室で実施したところ難関大学の数学も解いた。

 話を聞いているうちに高等教育(高校、大学)の先生の仕事もAIが代用できるのではと思われてきた。学校現場で使用制限するより、積極的に活用すべきである。




☆第21回 教師は最初に出逢う大人

 教師は最初に出逢う大人です。誰もが学校の先生と出逢い、人生観を磨いていきます。今、なぜ若者が教職を目指さないか、理由は簡単です。

1  教職は他の専門職と違い給料も少なく社会的地位も低く見られます。保護者は殆ど大学を出ており、小学校などでは教育に関し干渉して来ます。

2  自由時間が少ない事。スコーラ(教育)の語源である自由な時間がありません。
都立高校には昔、研修日がありました。週休日以外にもう1日休みを取れました。
しかし、その研修日に釣りに行ったり、ゴルフをする意識の低い教員がいてなくなりました。

3 オーバーカリキュラムの為教師の持ち時間数が多くなり、更に受験科目にも「情報1」が入り増えています。これは世界的流れです。だから世界的に教員の人気が下がっています。
教員の持ち時数を減らすことです。
産業界の観点で教育を勝手にいじらないこと。中教審のメンバーに参加している教育長にはもっと頑張ってもらいたいものです。


 結論を言います。教える事はAIに任せましょう。
本当に人を育てる事が好きな人、児童・生徒の人生に影響を与える教育観、哲学の持った人に教職を任せましょう。
そういう人にそれなりの報酬を与えましょう。




☆第20回  ChatGPTの出現、教師受難の時代が来る

 昨年あたりから、ChatGPTがマスコミに登場し、いまでは世界中で一億人以上の人が利用していると言われる。今後さらに広がるであろうし、同様な生成AIが世界中で誕生しつつある。ChatGPT を使用禁止している中国ではアリババが同様な生成AIを開発中であり、イーロン・マスク氏が独自の生成AIを開発すると発表した。

 私は仕事上、都立高校の英語の授業を見学している。沢山の生徒がChatGPT を使用し、大学入試問題を解き、自由英作文などで使用しているのを見ている。その昔、「計算機は数学の学習上有害である、即時使用禁止にせよ」という数学科の教員を中心にした運動があった。今から考えると笑い話のような話である。同様にChatGPT を使用禁止にすることは不可能である。

 ちなみに「私は高校の英語の教師です。ChatGPTをどのように活用できますか。」と入力すると、以下のような回答が得られた。


>>>高校の英語教師の場合、ChatGPTを以下のように活用することができます。

[語彙力の向上]

ChatGPTを使って、生徒たちの語彙力を向上させることができます。生徒たちはChatGPTに単語を送信し、ChatGPTがその単語の定義や例文を提供することで、より広い語彙を習得することができます。

[英文法の学習]

ChatGPTを使って、英文法の学習をサポートすることができます。生徒たちはChatGPTに文法の質問を送信し、ChatGPTがその文法ルールを説明することで、生徒たちはより正確な英語表現を習得することができます。

[読解力の向上]

ChatGPTを使って、生徒たちの読解力を向上させることができます。生徒たちはChatGPTに英文を送信し、ChatGPTがその英文を解釈し、意味を説明することで、生徒たちは英文をより理解しやすくなります。

[ライティングの支援]

ChatGPTを使って、生徒たちのライティングのスキルを向上させることができます。生徒たちはChatGPTに英文を送信し、ChatGPTがその英文を修正したり、より適切な表現を提供したりすることで、生徒たちはより正確な英文を書くことができるようになります。

[英会話の練習]

ChatGPTを使って、英会話の練習を行うことができます。生徒たちはChatGPTと対話し、英語でのコミュニケーション能力を向上させることができます。ChatGPTは自然な英語で応答することができるため、生徒たちはリアルな会話に近い形で英語を練習することができます。

 以上が、ChatGPTを高校の英語授業に活用する方法の例です。ただし、ChatGPTは人工知能による技術であるため、正確性に限界があり、一部の誤解を招く可能性があるため、授業での活用方法には注意が必要です。


 先日米国コロンビア大学の講義にZoomで参加して生成AIの健全な使い方についてヒントを得たのでここに紹介します。


ChatGPT から得られた回答は確かに個別最適化の学習に向いている。しかし、教育現場で使用するとしたら次の点に注意する必要がある。

1.要約文、自由英作文、語彙力、英文和訳などの学習は能動的であること。自分で要約文を作成、英文を作成し、そのあと確認のために生成AIを使用する。生徒は安易に流れる傾向にあり、ChatGPT で宿題などこなしてくる。教師は見極める力が必要となる。

2.ChatGPT を使用するにあたり、自分のアイデンティティを明確にする。「私は高校教師です」など入力する。つぎに解答は10個挙げてくださいと入力する。

3.10個上がった解答から3つ位選びその内容についてさらに詳しい説明を求める。

4.このようにするとかなり正確な情報が得られると同時に間違った情報も浮かんでくる。専門家の話を総合すると生成AIには想像力などないので人間らしい表現が出来ない。クリティカルシンキングの力に欠けるとのことです。

5.一番大きな課題はdisinformation(故意に間違った情報)や misinformation(間違った情報)がインターネットに入力されChatGPTから誤った情報が提供されること。
たとえばアメリカのフロリダ州、ダグラス高校で2018年2月起こった銃乱射事件に関するレポート作成するように依頼すると、「この事件は政府が銃規制を進めるため、役者を使い被害者やあるいは保護者の演技をした」と間違った回答してくる。


 ある世界史の高校教師と話したことがある。東大の世界史の問題をChatGPT に聞いたところ、完璧な答えが返ってきたそうである。教師受難の時代である。教師は専門の力をしっかりつけておくことが求められる。




☆第19回 「教育はブラック」と言うな

 先日、小さな島の学校でのお別れ会の様子がニュースに流れていた。生徒数は十数名で先生も同数の小中一貫校である。沢山の先生が3年間の任期を終え、島を離れていく。先生たちも、児童たちも涙を流し、別れを惜しんでいる。桟橋で別れのテープが海中に沈んでも、いつまでも手をふる子供たち、大漁旗の漁船でいつまでも追いかける村民の姿が見る人の心を打つ。

 こうした風景はいつしか、過去のものとなっている。都心の小学校では、先生と児童との距離が離れている。小学校低学年から塾へ通い、先取り学習をしている。必然的に小学校の先生は成績下位の児童に合わせた授業にならざるを得ない。宿題を出すと保護者からクレームがくる。行事のため学校へ残すと、保護者から塾の時間に間に合わないと言われる。

 教育の下支えが日本の国力を維持するために必要である。特に小学校教育が一番大切である。その小学校の先生になりたいという学生が少ない。「教育はブラック」といわれる。「教育はブラック」とある大学の先生が言い出したが、この言葉は大きな誤解を招いている。

 確かに、教育現場においても、保護者対応、部活動の指導など教員の労働時間が長く、過酷な労働環境に置かれているのは事実である。こうした仕事の割には他の専門職に比べ報酬が少ないことは課題である。こうした指摘は正しい。

 しかし、ブラックという形容は教育にふさわしくない。ブラックリスト、ブラック企業、ブラックマーケットなど、すべて反社会的な意味で使われている。

 子供の数が少なくなっていく社会では、自分を高めるための勉強ではなく、他人に勝つための勉強になっている。ある学習塾では成績順にクラスが決められ、模擬試験の結果が廊下に貼りだされる。何時間、家で塾のために勉強したかが友達同士の話題になっている。

 小学校では自分を確かめるための読書が大切になる。そうした時間が取れないのが現実である。自分を確かめる力となる言葉を身に付けることなく成長していく。ブラックという言葉を使い日本の教育を形容する大人が生まれてくる。

 さきほどの小さな島の小学校に教育の原点を見て安堵している。




☆第18回 危機管理の対応が遅い公立学校
 

 戸田市でまたしても重大事件が発生した。自分の身を挺して児童生徒たちの命を守った60代の先生に敬意を表する。

 それにしてもなぜ日本の学校はこれほどオープンなのだろうか。池田小事件を教訓として不審者の警備にもう少し厳しくなっているはずである。

 不審者が堂々と学校現場に足を踏み入れることが許される環境は、児童生徒の命を守る公教育という点で課題が残る。

 私が都立高校の校長をしているとき、不審者が堂々と侵入し、空き教室から生徒の財布などを抜き取られる事件が発生した。緊急職員会議を開き、情報の収集をすると、工事関係者の服装をした人が堂々と廊下を歩いていたと言う目撃情報が得られた。

 工事関係者の服装をしていると、疑うことはないという盲点を突かれた犯罪である。早速、警備員の配置に関する予算請求をしたが、都の関係部署からすぐに許可が得られなかった。

 私立高校だったらどうであろう。

 私は私立中高一貫校も勤務した経験がある。ある日不審者が侵入し、女子更衣室にいるところを生徒によって発見された。空手部の生徒が屋上まで追い詰め、警察に突き出した。翌日、すぐ理事長は警備員の配置を決定し、校門で一般人のチェックに厳しくあたっていた。

 対応の早さと言えばコロナの頃を思い出す。即、オンライン授業に切り替え、生徒の授業を確保していたのが私立学校である。公立は行政の許可が得られるまで少し遅れを取った。こうした状況を保護者はしっかり見ている。危機に対し素早い対応をする私立学校という印象が残った。




☆第17回 公立学校は生き残れるのだろうか

 全国すべての公立学校の話ではないけど、都心部の公立学校は生き残れるだろうか?

 先日、都立高校入学希望者数を発表した。かなりの学校で定員割れをしている。原因は私なりの分析だが以下の点に集約できる。

1 金太郎飴ではないが、どの都立高校も特徴がない、特に中堅の普通高校はどこも同じ、校長の顔まで同じに見える。これでは様々な教育施策で生徒を集める私立に勝てない。

2 私立の中高一貫校の人気がうなぎ登りだ。文京区のある小学校の風景。学校が終わると児童は駆け出してくる。バスに飛び乗り塾へ消えていく。中高一貫校を目指す小学生は年々増えている。必然的に公立中学生は少なくなって行く。

3 私立学校は生徒が集まらないと必然的に経営状態は悪化する、給料はカットされる。倒産もある。公立は倒産することはない、何年かして次の学校へ異動する。教員の意識に差がある。

 こうした現状を踏まえ都立高校ではadmission policy (入学時どのような生徒を取るか)curriculum policy (その学校の教育課程)diploma policy (卒業時どのような生徒に育て上げ社会へ送り出すのか)を全校作成して都民に周知する事にした。

 面倒見の良い学校、特徴的なカリキュラムの学校、卒業後の進路保証などで2倍近い倍率の普通高校も出てきた。

 結局は校長はじめ教職員がどれくらいその学校へ帰属意識を持っているかだ。




☆第16回 数学の必修化

 数学の必修化と言っても日本の話ではない。
 インド人の血をひくスナク英首相は4日、ロンドン市内で年頭の所感を述べた。その内容は、イングランドの全ての児童・生徒を対象に、18歳まで数学を必修化するというものである。国民の計算能力の底上げに着手すると話した。スナク氏は、英国が「18歳まで数学の勉強を義務付けていない数少ない国の一つ」だと主張し「全ての子どもが18歳まで何らかの形で数学を学べるようにしたい」と訴えた。
 
 獨協大学の学生に聞くと、数学がないから獨協を受けたという人が多い。これからの時代数学が苦手だから文系、数学が得意だから理系という考え方は通用しない。文理融合の時代が来る。

 数学者、森田真生によると、ギリシャの哲学者の多くは数学者である。数学も哲学も「現実」について考えている。宇宙の現象を表すに言葉では限界がある。ここで数式が登場する。「未来に何が起こるか」を予言できるのは、微分方程式という数学の言葉で書かれているからだと言う。言葉には限界がある。

 アインシュタインの方程式は宇宙のすべてを説明している「時空=物質」という概念を表現している。数学を知らずして、自然界の深遠な美を理解することはできないと森田は言う。

 これからの時代、文字を読み書き出来る力(literacy)だけでなく、数学を操る力(numeracy)が基礎的素養として求められる時代が来た。

 数学的思考力を身に付けよう。


参照: https://www.gov.uk/government/news/prime-minister-sets-ambition-of-maths-to-18-in-speech



☆第15回 サッカーと英語スピーキング


 日本サッカーチームはスペインを下し、グループトップで決勝リーグに進出した。海外のメディアはそのことを大きく報道している。BBCのニュースでもトップに日本のサッカーのことを報道している。何人かの日本人サポーターがインタビューに答えている。

 皆一様に流暢な英語を話し、喜びを伝えていた。中には年配のサポーターもいて感情を押さえながらゆっくりと英語で自分の気持ちを伝えている。

 私は獨協大学で10年以上教職を目指す学生の指導をしてきた。今年で最後になる。この10年で学生の英語力がかなり伸長している。英検1級を持っている学生が何名もいる。

 ところで都立高校の入学試験に今年からスピーキングが導入された。授業は英語でやることがあたりまえになる。授業の中で英語で自分の意見を交わす場面が増えている。海外大学へ進学する都立高校生が増えている。

 この試験を導入するにあたり賛否両論の嵐が吹き荒れた。賛成意見はほとんど報道されず、どこかの大学教授が中心となり反対運動の声ばかりマスコミは取り上げていた。反対理由は不受験の生徒が有利になるとのことである。不受験の生徒は筆記試験で同点の生徒の数値をスピーキングに充てると言うもので、この論調で行くと、不受験の方が負担もかからず一生懸命準備して受験した生徒より点数が多くなると言うものである。

 不受験者に該当する生徒はコロナに罹患した東京都在住の中学生(追試験のチャンスがある)、東京都以外から受験する中学生、私立の中学生である。この生徒たちは何らかの手段で救済する必要がある。窮余の策が今回の救済措置である。様々なケースが想定されるのでここで一概に救済措置について説明できない。東京都のホームページを参照してほしい。

 裁判まで起こして反対している人たちは何に反対しているのであろうか。英語4技能を統合した学びに変革しようとする日本の英語教育に反対しているのであろうか?

 

☆第14回 内向き志向の日本人

 
 EF EPI英語能力指数の調査が毎年実施されています。EF EPI英語能力指数は、世界最大の成人の英語能力ランキングです。毎年発行されるこの指数は、国および地域際的な成人の英語能力を比較するための重要な指標となっています。

 本年度の EF EPI は、世界 112カ国および地域と地域の18 歳以上の成人のテスト結果が対象となり、平均年齢は 26 歳、男女比は半々です。その結果をみると、日本は全世界112国中の78位です。ちなみに昨年は100か国中55位でした。評価は「Low Proficiency(英語の専門性に劣る)」というものです。 

 国連は少し前までフランス語が公用語でしたが、今は英語が公用語になっています。先日ある都立高校の英語の授業を参観しました。生徒は英作文を板書していくわけですが、見事な英文を書いています。授業の後、担当教員に聞くと、生徒はほとんどGoogleの翻訳機能を使って宿題をやってくると言っていました。

 知識伝達型の教育を変えないと、AIに教えることを代用されるでしょう。教室では即席で4技能を駆使する訓練が必要です。英語で何をするのか問われる時代が来ます。レストランで食事を注文するくらいならAI翻訳機が代用します。あらゆる国と人々と英語で意見を戦わす人材を育てる必要があります。

 今の若者は内向き志向です。高校生に聞くと、アメリカ、ヨーロッパに行っても学ぶことがないと答えます。海外に出て自分が思っていることが通じない体験をする必要があります。ちなみにアジアではシンガポールが4位で、韓国が37位、中国が49位です。


参考: 

EF EPI 2021 – EF 英語能力指数 (efjapan.co.jp) https://www.efjapan.co.jp/epi/

国立青少年教育振興機構の調査報告書
https://www.niye.go.jp/kanri/upload/editor/139/File/houkokusyo.pdf


☆第13回 教師は異色であれ

 コロナ禍による危機感からDX(デジタルトランスフォーメーション)への機運が生まれました。加速度的変化による、予測できない未来が到来します。

 学校の姿も大きく変わります。旧態依然の教え方を繰り返している先生は楽かもしれませんが、近い未来に自分の席がなくなるかもしれません。

 これからの教師は異色であれと言いたい。なぜなら異色な教員は児童生徒の様々な認知の特性に的確に対応できるからです。これからの学校教育が目指すのは一人ひとりの多様な幸せ(Well-being)の実現です。

 著者は大学で教職課程を取っている学生から進路に関して質問を受ける事が多い。その内容は、教育実習と就職解禁の6月と重なり、教育実習へ行っていると、会社の面接試験が受けられないというものである。一部の学生は6月以前に会社から内定をもらっている学生もいる。こうした現状を受け、教員採用試験は早まります。しかし、教育実習期間は変わらないでしょう。

 是非先生になって欲しいと思う学生が企業にながれている実態を前に忸怩たる思いである。一層、教員採用試験はなくして、「教師塾」など、大学と連携した教員養成機関を終えた者を無試験で採用したらどうかとの意見が出てくるのも納得出来る。「教師塾」など大学と教育機関との連携が整備されている自治体は都市部に限られる。しばらく、教員採用試験はなくなることはないであろう。

 教員採用試験では「人物試験」がほとんどの自治体で課せられている。人物試験の種類として、「個人面接」「集団面接」「自己PR」「集団討論」「模擬授業」「場面指導」「ロールプレイング」「指導案作成」「集団行動」がある。

 「人物試験」を実施する理由として、筆記試験では測れない人物的側面を総合的に評価するためである。最近、「人物試験」の比重が重くなってきている。「人物試験」を通し、予測できない未来を生き抜く力のある教員を見ている。異質な教員が尊重される。異質な教員は生徒の多様性に敏感に対応できるからです。

 同調圧力に屈することなく自分の思想信条に従って生きていく人材が教育界で求められています。今年も沢山の学生が教員採用試験に合格しています。



☆第12回 教師の生きがいとは何か

 公立小学校の教員採用倍率が2.5倍で4年連続で過去最低になった。

 今後、50代の教員が大量に退職していく。採用者数が多いのに受験者数の減少が気になる。特に初等中等教育で倍率が低い。理由は英語教育の導入、プログラム教育の導入など新しい教科が増えているため、教えられる先生が少ないことにある。オーバーカリキュラムは日本的現象ではなく世界的な潮流である。カリキュラムが増えることでtrade offが生じる。日本語など削られることのないよう今後教育政策を注視していく必要がある。

 「あなたはなぜ教師になったのですか」という問いに対する新規採用教員のアンケートを紹介したい。

(小学校教員)
 ボランティアや教育実習の際、子どもたちは素直で一生懸命で本当にかわいいと感じ、そんな子どもたちの力になりたいと思ったから。

(高校教員)
 子どもたちとかかわるなかで、毎日輝かしい成長を見ていると、そこまで自分がかけてきた時間や労力に大変意義を感じ、これ以上のやりがいはないとおもわせてくれるから。

 経済成長の頃から学校制度は産業界に優秀な人材を送るための装置とみなされ、国家主導で学校制度は社会の発展に寄与してきた。日本のみならず世界中の公教育は経済成長を加速させるための人材を育成する使命を負ってきた。

人の成長過程における公教育の重要性を認識せずに、教育の成果を数値化し、その責任をすべて教師におしつけている現状を改善することなく、声高に教育改革をうたっても、教師としての専門性は身につかない。働き方改革で勤務時間を短縮しても、人間を相手にする教職は手抜きをすることができない。定数改善、待遇改善をはかり、教師の専門性を高め、全人的意欲に燃えた教師を採用していかない限り日本の公教育は崩壊する。

知識水準が低い階層を生むことになれば深刻な社会問題となります。今回のコロナウイルスの危機により、経済格差が広がるでしょう。セーフティーネットからから落ちこぼれた児童生徒を救うため公教育の充実は喫緊の課題です。意欲ある教師を育てる必要があります。



☆第11回 教室の風景が大きく変わります

 私は合田哲雄氏とメールで情報交換をしています。彼は内閣府科学技術・イノベーション推進事務局審議官として「総合科学技術・イノベーション会議」(CSTI)を主催運営しています。予測できない未来にむけ、内閣府は従前の学校教育のイメージを大きく変革しようとしています。今、変革しないと第4次産業革命に生き残る人材が育たないからです。大きく変革の項目を示します。私が「DX時代の21世紀型学校像」【注】で触れた内容とかなりの部分が一致しています。

・二項対立の論理では語れない。同調圧力と正解主義はイノベーションの敵になる。

・従来、学校教育に求めてきた試験問題の文字情報を読んで正しい正解を導くと言った学びから、自分で課題を見つけ探求する学びへと変換する。

・他者との違いに価値を見出す。多様な社会を生き抜く人材は多様な才能を持った人材であり、多様な思考の持ち主とコミュニケーションできる人材である。

・私たちは一人一人認知構造が違う。認知の特性や関心の違いがある。そうした違いを理解し、それぞれの進路にあった学びを学校現場で実現する必要がある。「知りたいと言う欲求」を満たすことが学校現場で必要となる。

・ゲームのデバッグを請け負う上場企業のデジタルハーツ社の半分は不登校あるいは引きこもりの経験者である。点数による切り捨て教育は情報処理能力と真逆である。点数主義などで切り捨てられる人材をなくし、それぞれの能力に価値を見出す教育が必要となる。

・教育DXの中で学校現場だけでなく、企業、研究機関など様々な分野の機関と連携していく必要がある。

 教師と生徒がお互いに学び合いの灯をともし、
岩崎充益著『DX時代の21世紀型学校像』については、次の記事をご覧ください。

自著を語る.pdf

DX時代の21世紀型学校像.pdf





 
 
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