★第38回「2025年を予測する」 日本は巳年を迎え、辰から巳へと景気の良い話で新年は盛り上がっている。一方アメリカはトランプ新大統領を迎え、予測不可能な社会が待ち受けている。日本はアメリカの影響を受け、今までに経験したことのない一年になるであろう。 トランプ大統領の隣にいつもイーロン・マスクがいる。彼の発言は多大な影響力を持つ。ドイツに続きイギリスの首脳は彼の発言に反応している。イーロン・マスクは英語でWeird と形容される。「変な人、異能な人」とでも訳せようか。彼はIQが175あり、300万人に一人の逸材だそうである。 アメリカはWeirdな人材が育つ土壌がある。Weirdな人は自分が変な人だと思っていない、過去の延長線上の発想を追求していたらApple、GoogleやChatGPTは生まれてこない。日本も遅ればせながら「変な人」を育てるプログラムがスタートした。総務省の「異能ベーション」プログラムや東京都の「Tokyo Startup Gateway」がそうである。 トランプ大統領はWeirdな部類の人物ではない。ネット社会が生み出した怪物である。ネット時代になると、唯一の情報源はSNSなどに絞られる。新聞など読まない世代が増えてくる。ネット世代は自分が書いた内容がすぐに世に出る。必然的にフェイクニュースが蔓延する。既成メディアに書かれている内容を襲う。論壇という言葉が代表する議論の深まりが亡くなっている。デモクラシーの危機が到来した。 アメリカのデモクラシーを機能不全に追いやっているのは政治的対立だけでない。連邦議会予算局の2022年の報告によると、アメリカ上位10%の世帯が国の富の72%を保有し、下位50%の世帯が国の富の2%しか持たない。 トランプ大統領は上位層のみならず、下位層からも支持を得た。インフレ、失業などに苦しむ下位層はトランプ大統領に期待した。2025年はどんな年になるであろう。 地政学者のジョージ・フリードマンはその著『2020-2030アメリカ分断:危機の地政学』にアメリカは80年周期で制度的サイクルを繰り返すと書いている。 第1サイクルは:独立戦争とその余波の中から誕生した憲法が制定された1787年。 第2のサイクルは:南北戦争が終わった1865年に始まり第二次大戦終結まで 第3のサイクルは:その第二次大戦が終わり1945年から始まるサイクル。 第4のサイクルは:2025年、トランプ大統領の誕生。連邦政府と州との関係がどのように定義されるか、トランプ大統領の予測不可能な政策による分断が進む。 アメリカの教育政策はどうなるであろうか。イーロン・マスクは教育省の多様化教育、平等化教育は無意味だと言う。教育省自体の存在価値も認めていない。トランプ大統領は移民の排斥政策を推し進めていくであろう。しかし、アメリカのトップ大学卒業者には即市民権をあたえると豪語している。 2016年の資料によると、全国36校のエリート大学の学部課程に入学した16万人のうち、退役軍人はわずか645人(0.4%)である。ハーバード大学に入るにも大変だが入ってからの授業料など8万ドル(日本円で約12,613,600円)かかると言われる。海外からの学生はさらにお金がかかる。英語でhigh-net-worthと言われる富裕層しかかなわない夢である。分断化は加速度化する。日本は他山の石としなければいけない。 参考文献: 『2020-2030アメリカ分断:危機の地政学』ジョージ・フリードマン『The Weird People in the World』Joseph Henrich 他 ☆第37回 「もしトラと教育」 アメリカ大統領選の結果を世界中が注視している。民主党とハリス氏になるのか共和党のトランプ氏になるのかで世界情勢の流れが大きくかわる。11月6日時点ではトランプ氏が優勢らしい。 日本の選挙は特に混乱することなくおさまった。選挙で国民が一票を投じるということは、自分の思想信条を表明することになる。思想信条を確立するためには多くの情報の中から自分が真実と信じるものを受け取る力が必要となる。この力をクリティカルシンキングと言う。最近ではSNSなどからの情報を一方的に受け取り、そのまま信じる傾向にある。クリティカルシンキングの力を発揮できていない。 トランプ前大統領はフェイクニュースをためらうことなく一方的に流している。それを信じる人々は狂信的になり、彼の言うことを何でも信じて行動する。ピーター・カスニックアメリカ大学歴史学部教授は米国の学生の課題を次のように言う。 『米国の学生はこれまで科学や数学が弱いと言われてきたが、別の調査報告では米国の歴史についての知識が非常に乏しいと言う結果が出た。自国の歴史を知らないと言うことは、非常に操作されやすい人間になっている』 前回、トランプ氏が大統領に就任してから2年間に発したフェイクニュースは8,158回にのぼるとワシントンポストのグレン・ケスラー記者が報告している。トランプ前大統領は特に真実を伝えるメディアを目の敵にしている。そして、トランプ支持者はメディアは大統領に逆らってはいけないと信じている。 今回いち早くワシントンポストは選挙報道から手を引いた。正確な理由はわからないが、政治的な圧力、社会的な反響を意識したのかもしれない。私は毎朝The New York Timesを読むことを日課にしている。11月5日、つまり選挙投票日、前日のThe New York TimesのOpinionに次のような記事が載った。 タイトルは『The future of the planet hangs on this week´s vote』というもので読み進んでいくとトランプ氏が大統領になるといかに危険か述べられている。地球の将来、アメリカの将来を考えると人々の一票がいかに大切か書かれている。 2016年11月から、当時のトランプ大統領はThe New York Timesへフェイクニュースだと言って連日攻撃をかけていく。ほぼ毎日、彼はTwitterでThe New York Timesの悪口を書き込む。The New York Timesが真実を報道してもまったくそうしたコンテンツに興味を示さない米国人が増えていく。逆にnewsコーポレーションの中でFOXケーブルは突出して収益をあげ、2012年ではnewsコーポレーションの利益の全体の61%を稼ぎ出す。 トランプ前大統領からのThe New York Times社への攻撃に対し、事実を伝えるメディアは負けられないと闘った弁護士がいる。彼の名はDavid・D・マクロと言う。『ニューヨーク・タイムズを守った男』を読むと、当時の大統領との戦いはいかに熾烈なものだったか分かる。米国のみならず、世界はどこへ向かっていくのだろうか。 参考文献 『The New York Times』Nov. 5,2024 『ニューヨーク・タイムズを守った男』David・E・マロウ、毎日新聞社 『ディープフェイクと闘う』松本一弥、朝日新聞出版 Jeffrey Mberry and Sarah Sobiera.op.cit p18 https://www.washingtonpost.com/politics/fact-checker/ ☆第36回 「新しい学び」という幻想 石破茂氏が自民党総裁に選出された。新政権は安倍政権からの一貫した公教育の私事化の流れに影響を及ぼすのであろうか。 安倍政権は教育の自由化の名のもと、競争原理を導入した。地域の公教育への規制緩和を行った結果、グローバル(G)とローカル(L)人材との区別化が進行し、GとLとで予算の配分も軽重をつけた。大学もG大学とL大学といわれるようになり、L大学の統廃合が進んだ。東大などへの進学者も都市部の生徒が占有する結果になった。 こうした流れを受け、文科省は新しい学びを導入する。PISA型といわれる「生きる知恵」である。新しい学びでは、従来の知識偏重型の学びではなく、グラフ、データを読み取る力、課題をただ解決するのではなくその解決に至った道筋を説明する。あるテーマに対し賛否両論の意見を戦わせるクリティカルシンキングなどを学びの要とした。 東大などでは学校型推薦入試、総合型推薦入試を導入し、グローバル(G)とローカル(L)人材の区別をなくそうとしている。2024年度東大の推薦入試合格者を分析してみよう。 合格者70名のうち、東京、神奈川の合格者は29名(41%)、私立の合格者は27名(39%)であった。 現実では地方ほど旧来型の学びに対する信仰がつよく、新しい学びに対応できていない。また、公立校は一部私立進学校より新しい学びに対する対応が遅れている。 私は東大推薦入試を出した都立高校、都立中高一貫校を訪問しヒアリングをした。東大の推薦の合格者は数学オリンピックなどの本選出場者、化学グランプリ2020大賞受賞者、英検1級合格、TOEFL iBT98点、理数探究において「コッホ曲線を応用した研究」「遺伝子アルゴリズムの研究」「水溶液でのケミカルライトの研究」など大学の教授が自分の研究室で即戦力として採用したいと思う人材が合格している。 アメリカの大統領選挙が近づいている。アメリカでは教育格差が広がり、民主主義が弱体化している。アメリカ国民は自国の利益を優先し、トランプ前大統領などの論理的に矛盾する発言に一喜一憂する。教育バウチャーやチャータースクールなどの新自由主義手法を加速させたのは前トランプ大統領時代である。私は当時、アメリカの教育関係機関を訪問する機会が得られた。案内されたチャータースクールの生徒は一様にハーバード大学、コロンビア大学などアイビーリーグへの進学を口にしていた。その時話したニューヨークの教育関係者の言葉が忘れられない。「アメリカの公教育は破綻しています。教育格差がひどい状況です。公教育は国の礎です。」と悲しそうな表情で語っていた。 今、日本もアメリカと同じ道を歩みつつある。グローバリズムや新自由主義を推進してきた知識人、政治家が国家の中枢にいる限り、日本もアメリカと同じ道を進むことになろう。 石破茂新首相が誕生したことで少しだけ日本の教育の未来に期待しよう。 ☆第35回 給特法をどうする? 教職調整額が4%から13%になる。まずは歓迎したい。 ここで給特法が成立してきた経緯を見ていきたい。 1947年3月 労働基準法が教師にも適用される。 1948年5月「政府職員の新給与実施に関する法律」において、教師は一律一般公務員より約一割高い給与を得るが「超過勤務手当は支給しない」という方針が示された。これが教職調整額4%の考えにつながっている。 ここで、今回13%にアップしたことで歓迎する声とともに、給特法は教員に残業を強いるものですぐ廃止せよとの声もある。その点に関し意見を述べたい。 1 給特法は廃止できない。 廃止せよと言う声は最近大きくなってきている。その内容の書籍も売れている。しかし、給特法は廃止できないと私は断言する。その理由は、 ・校長をやって来た経験から言うと、給特法がなくなると教員からの訴訟も増え、管理職はその対応に苦慮する。 ・教職には残業という概念がない。私が校長時代、研究室に遅くまで残っている教員がいた。ある日副校長がその部屋をのぞくと、ビールを飲みながらナイターを見ている。 本当に遅くまで仕事をやっている人と、家に帰るより、学校で自由な時間を過ごそうとする教員がいる。 残業時間に応じた手当の算出は不可能である。 ・私が勤務した私立高校では給特法は適用されない。当然、教職調整額などない。残業とい う概念がない。国立大学付属も給特法は適用されない。私立では授業を終えて3時半に家に帰ることもあった。 給特法を廃止するより、主任手当、管理職手当などを厚くする方がよい。 ・給特法をなくすと、試算では9000億円分の上積みが必要と言われる。 では、今回の改正で教員志望者は増えるであろうか。 2 教員志望者数は変わらない。倍率は少しずつアップする。 教員倍率が減っていることで、教員の質が低下しているとは言えない。10倍が3倍になったとしても、受験生の質が高ければ、全体の教員の質が低下したとは言えない。 私が獨協大学で教えていた時も、本当に教員になりたい優秀な学生がいた。 2050年頃には小学校は現在2万校弱が6500校位になる。中学校の1万校弱が3000校に、東京では半数になる。必然的に教員採用数が激減する。次第に採用数は減ってきている。 3 しかし現在の教育現場は危機的である。 新規採用教員はそのまま担任に入っている数は小学校で95.9%、中学校で57.6%、高校で19.1%、特別支援61.8%である。特別支援の小学校低学年課程では教員が足りない。教員が疲弊している。病休に入っても補充人員がいない状況である。 なぜ教員を志望しないのか。 4 モンスターペアレント、信頼されない教師、学びを放棄する教師、失われる先生の命 教師に対する信頼が失われて、親代わりの躾まで要求するモンスターペアレントがいる。 教師は疲弊し病休に入り、補充する人材の質が低下している。失われる教員の命が深刻な問題である。 5 先駆的な自治体に学べ 次のような自治体の方策は参考になる。 たとえば、横浜市立学校では教職員の働き方改革プランを出している。それによると、電話は留守電の設定、教師もテレワークを導入。 大分大学教育学部附属小では職員会議を一切廃止している。 参考文献: 「教師崩壊」妹尾昌俊 「教師がいなくなる」内田良、小室淑恵、田川拓磨、西村裕二 「教師のブラック残業から賢く身を守る方法」西川純 ☆第34回 小学生はなぜ皆ランドセルですか? 最近、海外からの旅行者を日本の名所旧跡をガイドすることが多い。彼らが一様に驚くことは、どこもごみ一つなく綺麗だと言う事。信号を無視する人はいない、電車に乗るときも整列している。車内ではスマホで話す人がいない。とにかく、東京は安全である。 そんなある日、小学生はなぜみな同じbookbag(ランドセル)を持っているんですかと質問された。男の子は黒、女の子は赤のランドセルを背負っている。年長の小学生は下級生の世話をしている。列が乱れないよう一列になって通学している。 そこでランドセルの歴史を紐解いてみた。 ランドセルは何と150年前にさかのぼる。1877年日本の近代教育の整備が進む中、最初に学習院が通学用のカバンとして使用したのが始まりである。1920年頃から1950年頃までは布製や革製のランドセルが使われていたが、一般には普及していなかった。1960年代になり全国的に今のランドセルが普及した。今ではより軽量な素材のランドセルや様々な色彩のランドセルに人気が集まっている。 ランドセルの事を考えていると日本の公教育との関連性が見えてきた。ランドセルは祖父母が贈呈することが習わしとなっている。会社によっては就学時の子どもがいる社員にランドセルを贈るところもある。ソニーなどは社員にランドセルを贈呈することで絆を強くしているそうである。小学校に入学する一つの儀式と考えられている。一部の私立小学校ではあえてランドセルを指定していない。それを売り物にしている学校もある。 アメリカの旅行者と話していて気が付くことは、アメリカでは公教育が完全に崩壊していること。先日、サンフランシスコからの旅行者が言っていた。カルフォルニア州では不動産の高騰でホームレスの人々が急増している。その中には学校の先生もいる。 日本で進行中の新自由主義的教育改革はどこへ向かっているのであろうか。文科省始め新進とみなされる教育評論家の言説に共通することは公共性の観点が欠落していること。 そんな中、新学習指導要領では「公民」が導入された。「公民」は英語で「citizen」である。公教育の現場では学校教育と社会教育の両面から取り組むことになった。公教育の目的は公民を育てることである。 しかし、現実社会の振り子は「私事化」へとふれている。私事化と公共性との軋轢が生じ「個性の尊重」「一斉授業の非難」などの言説に見る通り、公教育の場で培うべき公共性が忘れ去られている。 日本はアメリカの轍を踏まないように、今一度小中学校で培われる共同体を維持する上で必要な「日本人としてのあるべき姿」、「慣習」などといった公共性の意義を再確認する必要がある。 ランドセルから日本の公教育の意義を考えさせられた。 ☆第33回 北欧の教育について語ろう Ⅰ フィンランドの教育 私は二十代の頃、北欧に滞在した。ノルウェーの農家に1か月弱滞在し、白夜を体験した。1970年までフィンランド人成人の30%しか高等学校を卒業しておらず、1993年までフィンランドはほとんど経済的に崩壊しかけていた。 教育と児童への献身はフィンランドの文化に深く根付いており、総合学校設立運動がその根底をなしている。総合学校(ペルスコウル)とは、全ての児童がこれからの社会で生きていくうえで最低限の知識、教養を身に付けるべく設立された。私立市民学校もここに統合される。 フィンランドは日本と同じくナショナルコアカリキュラムが学校教育の指針となっている。日本と同じく10年に一度改定される。国際学力調査などで評価の高いフィンランドはそのブランド力を生かし「教育の輸出」をしている。 ◎デジタル教育に関して:デジタル教材は中学校、高校のほとんどの学校で使用されている。高校修了試験などはデジタルで受験する。1科目6時間から8時間かけるテストもある。最近、一部でやはり紙と鉛筆の方がいいとの声も出てきた。 ◎教職人気に関して:フィンランドは職業として教職人気が高い。教職は今でも女の子の一番人気となっている。フィンランドには14大学しかなく、そのうち8大学しか教員養成課程を備えていない。教職人気が高く、教員養成課程では120人の枠に1789人が応募した。(2011年~2012年) ◎教育実習に関して:教育実習は充実していて半年以上従事する事が義務付けられている。 ◎教員の資格:教職につくには修士号の習得が義務づけられている。 ◎なぜそんなに教職の人気が高いのか:GDPに対する初等教育から高等教育への政府財政支出の割合はフィンランドが5.6%で、日本は2.9%である。(2018年)日本はOECDの中で最も少ない。しかし、フィンランドの教員の給与は決して高くない、教職人気が高いのは労働時間にある。1週間あたりOECDの中学校平均労働時間は38.3時間、フィンランドは33.3時間、日本は53.9時間である。本務は授業だけ。HRや部活動指導はなし。教職には専門教科指導教員とHR指導専門教員がいる。その他部活動指導員もいる。 ◎フィンランドの特別支援教育に関して:フィンランドの児童の8%は特別支援教育のニーズがあると言われる。しかし、その半数しか特別支援学校へ通っていない。半数は普通クラスに入っている。特別支援の先生が普通クラスで指導する。特別支援の先生の重要性が高まっている。 ◎フィンランド教育の課題:増加する移民が課題となっている。学校によっては8割以上が移民である。 Ⅱ スウェーデンの教育 スウェーデンはフィンランドと教育の様相がかなり違う。1980年春の年次教員調査によると14万600人の教員が雇用され、そのうち13万514人が現に在職中である。それらのうち11%が非常勤であることを考慮にいれると生徒対教員の比率は11対1である。 教員の61%は女性である。スウェーデンは学問に対して尊敬の念を持ってきた。例えば村の学校の先生は都市部の講師や校長と同様に医者や法律家と並んで知的エリートの一部を形成している。教職員組合が組織され強い力を持っている。 ◎スウェーデン教育の特徴:スウェーデンの国語審議会は2013年「e-sport」を新語として登録した。スウェーデンの教育法は高校生が授業に欠席した場合、学校はその日のうちに保護者に連絡しなければならないと規定している。ほとんどの高校生は返済不要の奨学金を受け取っている。最近組織的カンニング事件が起きた。また、デジタル教育に関し見直しが図られている。 参考文献:「PISAから見る、できる国、がんばる国」OECD編 「フィンランド×日本の教育はどこへむかうのか」北川達夫、高木辰郎著 三省堂 「フィンランド人はなぜ学校教育だけで英語が話せるか」米崎里著 亜紀書房 「スウェーデンの教育」レオン・バウチャー著 学文社 「北欧の教育再発見」中田麗子、佐藤裕紀、本所恵、林寛平著 明石書房 ☆第32回 本当に教員の給与は上がりますか? 5月13日、中教審初等中等教育部会の「質の高い教師の確保特別部会」は教職調整額を現行の4%から10%以上引き上げる方針などを盛り込んだ審議のまとめを文科大臣に手渡した。 このニュースは大きく取り上げられ、今度こそ教員の給与アップに期待する人が多いと思う。しかし、あくまで、中教審の答申であり、文科省も予算計上をしているわけでない。何より財務省が沈黙を保っているのは、教員給与アップに必要な2100億円にのぼる財源確保は現実味のない数字だからです。 2023年度の政府案における国家予算は一般会計で114兆3812億円である。そのうち、文教及び科学振興費は国家予算の4.7%である。この金額は全体の国家予算が増加しているのにもかかわらず、減少している。このうち、義務教育負担金は1兆5216億円あてられている。この金額が教職員給与である。 国の一般会計予算に占める文部科学予算の比率を見ると2020年度5.3%、2021年度5.0%、2022年度4.9%と年々減少している。2002年度の8.1%を最高に年々減少している。ここで専門的な話になるが2006年度、小泉内閣のとき三位一体改革の一環として義務教育国庫負担金が2分の1から3分の1に減らされた。必然的に地方の行財政の判断で教員の人件費を決めることになる(総額裁量性という)。わかりやすく言えば財政的に裕福な自治体は教員給与にある程度の予算を計上できる。そうでない自治体は教員の給与は抑え、その分で少人数教育を充実しようとする。 大都市と地方都市では教員給与に差があることはあまり知られていない。小泉内閣の時代に国庫負担金を3分の1にしたことで予算に余裕のある都市部とそうでない自治体との格差が生じた。 結論をいうと、一律に教職調整額10%アップということが可能な自治体とそうでない自治体の差が生じるであろう。国の教育を支える教職を魅力あるものにするには、国庫負担金を2分の1に戻し、教員給与の格差をなくすべきである。 参考文献:『最新 教育データブック』時事通信社 ☆第31回 教師はまぶしい存在であった 教師という職業は歴史をさかのぼると、憧れの対象でまぶしい存在であった。しかし、教師は生徒より偉いと言う捉え方をすると間違っている。理想の教師は教室で目立たない存在である。私は校長時代、何度も授業観察をしたが、生徒同士で活発に議論をしていて、教師が目立たない授業があった。 いつから教師という職業はまぶしい存在でなくなったのだろうか。その理由はいくつかあげられる。 1 義務教育の意味を誤解する保護者が増えてきた。義務教育とは親権者が子弟に教育させる義務のことである。しかし、まともにしつけができない親がしわよせを教師に押し付け、そのクレームに対し教育委員会、行政が動くと言う図式が顕著になってきた。特に90年代から先生にお願いしますという風潮になってきた。 2 新しい学校という理念のもと、新自由主義的発想が取り入れられ、公教育の私事化がすすみ、競争原理が定着する。教師あるいは学校を数値で評価し序列をつけた。統一学力テストの結果公表はランク付け、学校間格差につながった。 3 こうした競争原理のなか、学習指導要領の範疇が及ばない私立学校は独自性を標榜し、進学指導なり生徒指導なりを売りに人気を博していく。一方公立学校は市民へのサービス、面倒見のよい教育を売りものにするが、疲弊も増していく。 4 1980年代頃から学校は「行かねばならない所」から「行きたければ行くところ」に変わる。学校バッシング、教師バッシングが激しくなる。 5 グローバリズムを推奨する風潮の中、公教育にはお金をあまり使わず、「選択と集中」つまり、優秀なエリートに国家資源を集中的に投資しようと言う社会になってきている。 私はコロナの前にアメリカを訪問して教育関係者と話し合う機会があった。皆、異口同音にアメリカの公教育は破壊してしまったと言っていた。日本はアメリカの教育政策を追随してここまで来てしまった。この世界には北欧のように教師がまぶしい存在の国がある。そうした国の教育を模範とすべきである。 ☆第30回 言語を学ぶこと ちょうど今、Paul Austerの“TIMBUKTU”を読み終えた。主人公は人間ではなく犬だが、言語も感情も理解する犬の物語である。18年間飼っていたトイプードルを亡くし、ペットロスになっており読み終えた時、感傷的になった。 テレビのニュースからロシアのプーチン大統領が80%以上の票を得て再選されたことを報じている。言語を学ぶことの意義を考えている。外国語を学ぶことで日本語だけの世界からはばたくことが出来る。外国語がわかれば他国の書物も楽しむことが出来る。 言語はいつ生まれたか専門的なことはわからない。言語とナショナリズムとの関連性を強く感じるのがロシアによるウクライナ侵略であり、イスラエル軍によるガザでの虐殺である。ウクライナ国内でロシア語を話す人々を解放するという名目でプーチン大統領は侵略した。ヘブライ語もアラビア語も同じセム語に属しているが、パレスチナの地にイスラエルの国家を建設した時から、イスラエル人はヘブライ語を自国民のアイデンティティとして確立してきた。 ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』を読むと、今、世界中で展開する紛争の原因を探ることが出来る。その本によると、19世紀後半になると、ヨーロッパでは同一言語を話す共同体を形成していく。相対する政治秩序を形成し、ロシア化、スペイン化などと言われるように言語により他民族を統合していく。1887年にはロシア語はバルト海地方のすべての国立学校で必修科目として位置づけられた。 これを「公定ナショナリズム」と呼ぶ。『想像の共同体』には次のように書かれている。 「公定ナショナリズム」は中世以来集積されてきた広大な多言語領土において、帰化と王朝権力の維持とを組み合わせる方策、別の言い方をすれば、国民のぴっちりとひきしまった皮膚を引き延ばして帝国の巨大な身体を覆ってしまおうとする方策である」p147 ベネディクト・アンダーソンによると、国民はイメージとして心の中に想像されたもので、国民は主権的なものとして想像される。国民は国歌を歌うとき実感するように水平的同士愛として心に思い描かれる。この想像力の産物のため、過去2世紀にわたり数百万の人々が殺し合いってきた、そしていまでも殺し合いは続く。 参考文献 『想像の共同体』ベネディクト・アンダーソン著 NTT出版 ☆第29回 グテーレス国連事務総長からのメール 最初に恥ずかしい話ですが、最近実際あった私事にかんする失敗談をお話しします。 Antonio Guterres氏からメールが入りました。ご存じ国連事務総長です。なぜ、私のような無名の日本人にメールが入ったのか不思議に思いました。心あたるふしがあります。LinkedInでグテーレス氏のガザでの紛争に関する記事を読み、さっそくコメント書きました。その記事を読んで私にメールを送ってきたのだと自分勝手に理解しました。 その日は忙しいとのこと、翌日時間を決め、メールを送るとのことです。メールでは情報が漏れると困るので国連専用のIDとラインのアドレスを送るので、オンラインで直接顔を見ながら話したいとのことです。 決められた時間にIDを入力し、オンラインで直接事務総長と話しました。確かにオンライン上の人物はグテーレス氏本人です。話しているうちに、英語のなまりが気になりました。アメリカの教養のない人が使うスラングを使っていたのです。 結論を言います。誰かがAIを使い、グテーレス氏に成りすまし、私にアクセスしてきたのです。恐らく何か金銭的なものを最後に要求してくると思い、ラインは切断し、記録も抹消しました。 ドイツ哲学者、マルクス・ガブリエルは言います。「AIには倫理がない、だから絶対にAIが人間に教えることはないと信じたい」(訪日の際に受けた或るテレビ局のインタビューに答えて) AIには倫理がないということは、AIが人間の知性を超えるときが来るとしても、人間の心を持つことはないのです。AIが自らAIを生み出し知能の爆発が起こるだろうと、専門家を予測しますが、そこには人と人との心が通い合うつながりはないです。 私が相手をしていた偽グテーレス氏は心がありません。英語を話していたが心と心の関わり合いがありません。アメリカのコロンビア大学学長であるMinouche Shafik氏は次のように言っています。 「In the past, jobs were about muscles, Now they´re about brains, but in the future, they will be about the heart」 (『 The New York Times, Opinion, Feb.15,2024 』より 学校は絶対なくならないと信じています。学校が知識だけを伝授する場としたらAIが代用するでしょう。学校では人と人との関わり合いを学ぶ場です。先生は知識だけでなく、先生の存在、教育観が児童生徒に影響を与え、 彼らを公人として育てていく場です。 ☆第28回 生成AIに負けない教師 教師は《ことば》の伝道師です。あえてひらがなで《ことば》としました。この《ことば》は経験をへた言葉の意味です。ところで、生成AIは言葉を理解するのでしょうか。 哲学者であり、生成AIの専門家、次田瞬は次のように言います。「AIアシスタントやチャットボットは言葉の意味を理解せずともふさわしい返答が出来るよう設計開発及び学習されている。AIは《リンゴ》と聞いて、ヒトのように《赤く甘酸っぱい果物》を思い出しているのではない。」(『意味が分かるAI入門』p. 129) 《意味がわかる》という言葉の定義は幅広いので断定的なことは言えないが、AIはけっして人間のように言葉の意味を理解しているとは言えないようです。 言語学者、川添愛は言います。「機械が利用する文脈は《周囲の数単語の字面》ですが、私たちはそれらの単語が外の世界で何と対応しているかという情報も使いことができます。また、それだけでなく、目の前の状況や、過去の体験の記憶も利用します。つまり、機械にとっての《文脈》は《言語の世界》の中だけで完結しており、対象となる単語、また、周辺に現れる単語が《言語の外の世界》で何に相当するかは考慮されません。」 悲観的になる必要はありません。《ソクラテスの家庭教師》と言われる人間の脳を超える生成AIが出現したら、共存していきましょう。道具として利用すればよいのです。私たちが存在しているのは《ことば》があるからです。《ことば》を介して人間同士生き生きと活動しています。《ことば》は時に武器になります。《ことば》の選択に敏感になる必要があります。生成AIもプロンプトに入力しない限り、回答は得られません。 プロンプトに入力する言葉の選択は能力です。国語、つまり母国語の能力はあらゆる知的能力の基盤です。外国語を学ぶにしても母国語の能力がなければ限界が生じます。《ことば》を磨くには母国語で良書を読む必要があります。人生において良書に出会った人とそうでない人と生き方に大きな差が生じます。丁度、鉱山で鉱脈を探し当てるように良書を探すようにしようと思います。 今、世界は権力を主人公にしている国と、《ことば》を主人公にしている国とに分かれます。プーチン大統領は恐怖政治で人民の自由な発言、行動を抑えています。幸い、日本はまだ《ことば》を主人公にしている国に属しています。 参考文献:『意味がわかるAI入門』次田瞬著、(筑摩書房)p.130 『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット』川添愛著、(朝日出版)p.201 ☆第27回 生成AIにない「自助・共助・公助」の精神 新年早々から天災、人災が日本を襲った。能登半島地震で被災された方々にはお悔やみ申し上げます。翌日の2日、今度は羽田空港で日本航空機と海上保安庁の航空機が衝突、5名の海上保安庁の関係者が亡くなった。海上保安庁の方々は被災地へ救援物質を運ぶ任務にあたっていた。お悔やみ申し上げます。 世界中の人々を驚かせたのは炎上する航空機から400名近い乗客、乗務員が全員無事で脱出したことである。燃えさかる炎の中、客室乗務員の指示に従う乗客の姿が映像で流れていた。誰一人、勝手な行動をすることなく、客室乗務員の指示に従っている。その日、私はCNNニュースでその報道を見ていた。アナウンサーもコメンテーターもこれほど沢山の人が無事に避難できたことに驚きの様子であった。海外からの乗客も興奮した様子でインタビューに答えている。日本からのお土産が棚の上にある。誰一人立ち上がり棚の上の荷物を取ることなく、座ったままなので彼も皆と同じ行動をとったとのことである。 「自助・共助・公助」という言葉が浮かんできた。学校は社会の縮図である。日本では学校という場で規範意識、徳義などを不易なるものとして教育している。しかし、「働き方改革」、「教育はブラック」などと言われそんな不易なる部分の教育が最近軽視されている。 教育は「人為的な社会化」である。生まれてから家族、近所の人、学校という場で人と人とのコミュニケーションを通じ、生活習慣、しきたりなど身に付けていく。これを「社会化」と言う。最近、「叱り屋さん」がいなくなり地域のコミュニティはやや薄くなりつつある。 知識には形式知と暗黙知がある。形式知とは学校で習う言語、数字など共有化されやすい知識である。暗黙知とは、IT化になっても形にしにくい、かえって形にすることが好まれない知識、たとえば経験知、直観、スキルなどである。 今、教育現場では形式知も大切だが、暗黙知の重要性が問われている。「自助・共助・公助」の精神は暗黙知であり、生成AIにない知である。 ☆第26回 小学校教育は公教育を支える要である 先日、小学校の授業を見学する機会を得た。1年生の授業では、いかに生徒の注目を先生に向かせるか、工夫された授業であった。漢字をやっていたが、児童の中にはかなり難しい漢字をもうすでに知っている子もいて感心したと同時に、一斉授業の難しさも垣間見ることが出来た。 次に、4年生の授業を見る。中高でやっている探究的な学びを実践していた。 今の児童生徒はスマートフォンなどでやり取りをする。必然的に面と向かって言語で人生観、世界観を語り合う機会が乏しい。若者間の対話の喪失を感じる。 探求的な学びは新学習指導要領の目玉となっている。探求の成否はテーマ設定できまる。生成AIにしても、テーマをプロンプトで書き込まないと答えてくれない。この日見た小学4年生はそれぞれ自分が興味をもつテーマを設定し、図書館などで調べ、この日ポスターセッションの形で発表していた。 探求的な学びはイギリスではすでにトピック学習で実践している。たとえば「雨」をトピックに選んだとしたら、雨はなぜ降るのか、雨はなぜ大切なのか、児童生徒は図書館などで調べ、皆の前で発表する。 実はこの学習形態が一時、学習指導要領に取り入れられたことがある。2000年頃である。実際学校現場ではほとんど定着しなかった。一つの理由として教える側の問題がある。こうした探求的な学びに教員は慣れていなかった。もう一方でPISAの成績低下を受け、一部の有識者が学力低下論を流したためである。 このように学習指導要領は大きく変わっていく。変更の度に学校現場は翻弄する。学習指導要領はミニマム・エッセンシャルだと認識すればよい。 ところでこの日も優秀な小学校教員の姿を見た。教員採用試験で小学校の受験倍率が下がっていることは魅力の低下と直接結びつかないという研究発表が11月13日の教育新聞に載っていた。東京学芸大学の奥住教授と平田准教授の発表である。 倍率が下がった、つまり小学校の教員は不人気になったという短絡的な考えは間違いである、という。新成人の人数を見ると00年に164万人だったのが、22年には120万人と27%以上の減少である。一方、小学校受験者数をみると、00年が4万6156人で22年が4万636人であった。新成人に対する割合で約2.8%から約3.8%へ上昇している。 小学校の教育は公教育を支える要である。 ☆第25回 言葉の伝道者 今年度も本大学から何名かの学生が教員採用試験に合格しました。彼ら、彼女らが受験した埼玉県、さいたま市、東京都などは今年度受験倍率がアップしました。私は今年度も面接指導、論文指導をしました。教職を天職として志す学生がまだいることに安堵しました。しかし、例年より少なくなっています。 教師はブラックだと言った人の本を読んで感じました。教職を一般の職業と比べ語っています。教職という職業はその特殊性ゆえにスペシャリストと言えないものがあります。弁護士、医師などのスペシャリストとは比肩できません。でも、教職はだれにでもできるものではありません。 私は孫の学校参観に小学校へ行きました。一人で35名の生徒を相手に問いかけています。その先生の言葉に35人の目が、心が惹きつけられているのです。私は高校教師をやってきましたが、とても真似はできません。 東京都では小学校で今年度も140名の欠員が出ました。小学校の教員志望者数は増えません。教職と他の職業と同等に比べるところに誤解が生じているのです。しいて、教職と似た職業は農業でしょう。給料を2倍にしても、真の教師志望者は集まらないでしょう。 「教師の仕事は未来を建設する仕事」と言ったのは大村はまです。教師の仕事は児童生徒の声を聞くこと、それも、沈黙の声を聞くことだと彼女は言いました。 教育行政の整合性のなさ、教師バッシングによる公立学校たたき、使われている税金のコストに見合わないと言って、公教育の縮小と言った、「選択と集中」が今の教育破壊を招いているのです。 教師の側にも責任があります。知識だけを教えていることが教育だと考えている人がいます。余暇を美術館、音楽鑑賞、図書館などで過ごし専門外の知識に興味をしめさない人が増えています。教師は言葉の伝道者です。この“言葉”は経験を踏まえた言葉です。 ☆第24回 教師は「無用の用」に励め 前回、生成AI の出現により多くの職業がなくなる、と書いた。その中に英語教師も入っている。 ここで視点を変え英語教師など未来の教職について触れてみたい。 課題を生成AI を使ってやってきた生徒がいても気にすることはない。その生徒に言ってやろう、そんな姑息な手段で課題をこなしているといつまでも希望する学校へ合格出来ないでしょう。なんら自分の力になっていない。 慶應大学の今井むつみ教授が言っている。人間とAI の大きな違いは学習の仕方にある。人間は推論によって知識を増やしていく。赤ちゃんが言葉を覚えていく過程は環境の中からモノと言葉のつながりを推論して身につけていく。AIは最初に膨大なデータを与えられる所から始まる。 教育現場で生成AIに負けない教授法はここにある。 赤ちゃんの学びと同じ過程を教室の場で実現するのだ。その日学んだ知識を自分のことばで発表する。知識の概念化が学びの主流となる。 ディベートの授業が有効になる。読解の授業では行間を読む学びに取り組む。和文英訳では自由英作文を多く取り入れる。ある程度結果が出たら生成AIの結果と比べてみる。 教師の役目は教える人から手助けする人になる。ここで押さえておくべき点は教師の知識量が要求される。その知識を使って言葉にする概念化が要求される。教師は専門知識以外の幅広い知識を学ぶ必要がある。 雑務は生成AIに任せよう。研究授業案は生成AIが作ってくれる。確認テストや生徒の英語の添削も生成AIに任せよう。老子の「無用の用」と言う言葉がある。この言葉の意味を噛みしめよう。 ☆第23回 英語教師受難の時代 シンギュラリティ(技術的特異点)という言葉がある。AIやロボットが急速に進化し、人間の能力をこえた機械が出現すると言うものである。おそらく2045年頃だろうと言われていた。しかし、ChatGPTが出現し、シンギュラリティはもう目前に迫っていると言われている。 ChatGPTでは問い合わせに対する回答はもちろん、文章の要約、翻訳、校正などこなす。小説、詩なども創作する。さらに、一覧表や発表用のパワーポイントも制作する。 私は難関大学の英文和訳、要約文の作成、和文英訳などChatGPTを使ってやってみた。瞬時に完璧な回答を得ることが出来た。 歩くより車を使おうと考えるように人間の脳は楽な方へむかっていく。辞書を引いて難解な英文を訳すより、生成AIを使い完璧な和訳を得ようと考える。学習の現場では、教師より生徒が完璧な英文を書いてくるだろう。教師の代わりにChatGPTの技術を使ったAIと会話する英語学習アプリがすでに登場している。 小学校、中学校の英語教師の必要性はまだある。英語の文法など基礎を学ぶには日本語での指導が必要となる。高校、あるいは大学で英語の授業はAIが代用できる。生成AIの出現により後期中等教育、高等教育の英語の教師は職を失うかもしれません。 しかし、悲観的になる必要もありません。あるテーマに対する意見を英語で発表したり、ディベートで自分の考えを交換することは人間の能力の範疇です。その際、facilitator(手助けする人)として教員の役割はあります。 ちなみに、東大の松尾研究室では東大の世界史の問題を生成AIにやらせたところ、それらしき文章を完成するが、全く事実誤認であると話していました。生成AIの回答のどこがおかしいか指摘できるのは教師の職務です。生成AIの出現を好機と考える必要があります。 旧態依然のチョーク・アンド・トークだけで授業をしている教師に未来はありません。 ☆第22回 学校現場で生成AIの使用制限はできない 先日、東大教授で生成AIに関して権威者である松尾豊氏に話を聞いた。その話の内容を紹介しよう。教育現場でおおきなdeep learning 革命が生じつつある。東京都はすでに学校現場で生成AIの使用制限している。文科省もいずれ使用制限を出すであろう。学校現場で生成AIの使用制限は難しいであろう。少し長いが松尾豊氏の話を紹介したい。 生成AIの仕組み: Transformer「自己教師あり学習」が特徴、つまり、途中の文章を入力するとその先の文章を推測する。AIが文章の構造を学習してしまう。AIが予測能力を身に付けている。 人間はAIと違い予測に反するとびっくりする。→コーヒーを注文したところコーラがきたらびっくりする。海外留学の意義はこのびっくりする体験である。 AIにも仮説・検証能力がある: 「自己教師あり学習」→「報酬モデルの学習」この段階で人間が間違いか、正しいか判断する→「強化学習」褒められる学習、ほめられるとAI能力が強化する。 AIが人間の知能に近づきつつある: GPT-3は200億の神経細胞を内包する。GPT-3はあるタイトルを与えると勝手に文を作成する。医学界ではAIが診断する。しかし人間は200兆のパラメーターがあるのでそれには及ばない。しかし、GPT-4が開発された。小説文、音楽、絵画などAIが勝手に創作する。医学界の診断はさらに向上している。これはopen AIといわれ「ソクラテスの家庭教師」と言われる。 いずれGPT-5が開発される。莫大の量の知識を丸暗記する。次の単語を推測する能力が優れ、小説も書く、会話文も自由に作る。絵も描く。中国ではすでに中国製の生成AI(悟道)が完成している。人間のパラメーターに近づいている。 今後社会はどう変わるか: 今あるホワイトカラーの仕事の80%はAIにとって代わる。入試問題など生成AIはいとも簡単に解く。感想文等得意分野である。あるテーマをあたえれば生成AIが勝手にプレゼンテーション用パワーポイントを作ってくれる。テスト問題も勝手に作る。松尾研究室で実施したところ難関大学の数学も解いた。 話を聞いているうちに高等教育(高校、大学)の先生の仕事もAIが代用できるのではと思われてきた。学校現場で使用制限するより、積極的に活用すべきである。 ☆第21回 教師は最初に出逢う大人 教師は最初に出逢う大人です。誰もが学校の先生と出逢い、人生観を磨いていきます。今、なぜ若者が教職を目指さないか、理由は簡単です。 1 教職は他の専門職と違い給料も少なく社会的地位も低く見られます。保護者は殆ど大学を出ており、小学校などでは教育に関し干渉して来ます。 2 自由時間が少ない事。スコーラ(教育)の語源である自由な時間がありません。 都立高校には昔、研修日がありました。週休日以外にもう1日休みを取れました。 しかし、その研修日に釣りに行ったり、ゴルフをする意識の低い教員がいてなくなりました。 3 オーバーカリキュラムの為教師の持ち時間数が多くなり、更に受験科目にも「情報1」が入り増えています。これは世界的流れです。だから世界的に教員の人気が下がっています。 教員の持ち時数を減らすことです。 産業界の観点で教育を勝手にいじらないこと。中教審のメンバーに参加している教育長にはもっと頑張ってもらいたいものです。 結論を言います。教える事はAIに任せましょう。 本当に人を育てる事が好きな人、児童・生徒の人生に影響を与える教育観、哲学の持った人に教職を任せましょう。 そういう人にそれなりの報酬を与えましょう。 ☆第20回 ChatGPTの出現、教師受難の時代が来る 昨年あたりから、ChatGPTがマスコミに登場し、いまでは世界中で一億人以上の人が利用していると言われる。今後さらに広がるであろうし、同様な生成AIが世界中で誕生しつつある。ChatGPT を使用禁止している中国ではアリババが同様な生成AIを開発中であり、イーロン・マスク氏が独自の生成AIを開発すると発表した。 私は仕事上、都立高校の英語の授業を見学している。沢山の生徒がChatGPT を使用し、大学入試問題を解き、自由英作文などで使用しているのを見ている。その昔、「計算機は数学の学習上有害である、即時使用禁止にせよ」という数学科の教員を中心にした運動があった。今から考えると笑い話のような話である。同様にChatGPT を使用禁止にすることは不可能である。 ちなみに「私は高校の英語の教師です。ChatGPTをどのように活用できますか。」と入力すると、以下のような回答が得られた。 >>>高校の英語教師の場合、ChatGPTを以下のように活用することができます。 [語彙力の向上] ChatGPTを使って、生徒たちの語彙力を向上させることができます。生徒たちはChatGPTに単語を送信し、ChatGPTがその単語の定義や例文を提供することで、より広い語彙を習得することができます。 [英文法の学習] ChatGPTを使って、英文法の学習をサポートすることができます。生徒たちはChatGPTに文法の質問を送信し、ChatGPTがその文法ルールを説明することで、生徒たちはより正確な英語表現を習得することができます。 [読解力の向上] ChatGPTを使って、生徒たちの読解力を向上させることができます。生徒たちはChatGPTに英文を送信し、ChatGPTがその英文を解釈し、意味を説明することで、生徒たちは英文をより理解しやすくなります。 [ライティングの支援] ChatGPTを使って、生徒たちのライティングのスキルを向上させることができます。生徒たちはChatGPTに英文を送信し、ChatGPTがその英文を修正したり、より適切な表現を提供したりすることで、生徒たちはより正確な英文を書くことができるようになります。 [英会話の練習] ChatGPTを使って、英会話の練習を行うことができます。生徒たちはChatGPTと対話し、英語でのコミュニケーション能力を向上させることができます。ChatGPTは自然な英語で応答することができるため、生徒たちはリアルな会話に近い形で英語を練習することができます。 以上が、ChatGPTを高校の英語授業に活用する方法の例です。ただし、ChatGPTは人工知能による技術であるため、正確性に限界があり、一部の誤解を招く可能性があるため、授業での活用方法には注意が必要です。 先日米国コロンビア大学の講義にZoomで参加して生成AIの健全な使い方についてヒントを得たのでここに紹介します。 ChatGPT から得られた回答は確かに個別最適化の学習に向いている。しかし、教育現場で使用するとしたら次の点に注意する必要がある。 1.要約文、自由英作文、語彙力、英文和訳などの学習は能動的であること。自分で要約文を作成、英文を作成し、そのあと確認のために生成AIを使用する。生徒は安易に流れる傾向にあり、ChatGPT で宿題などこなしてくる。教師は見極める力が必要となる。 2.ChatGPT を使用するにあたり、自分のアイデンティティを明確にする。「私は高校教師です」など入力する。つぎに解答は10個挙げてくださいと入力する。 3.10個上がった解答から3つ位選びその内容についてさらに詳しい説明を求める。 4.このようにするとかなり正確な情報が得られると同時に間違った情報も浮かんでくる。専門家の話を総合すると生成AIには想像力などないので人間らしい表現が出来ない。クリティカルシンキングの力に欠けるとのことです。 5.一番大きな課題はdisinformation(故意に間違った情報)や misinformation(間違った情報)がインターネットに入力されChatGPTから誤った情報が提供されること。 たとえばアメリカのフロリダ州、ダグラス高校で2018年2月起こった銃乱射事件に関するレポート作成するように依頼すると、「この事件は政府が銃規制を進めるため、役者を使い被害者やあるいは保護者の演技をした」と間違った回答してくる。 ある世界史の高校教師と話したことがある。東大の世界史の問題をChatGPT に聞いたところ、完璧な答えが返ってきたそうである。教師受難の時代である。教師は専門の力をしっかりつけておくことが求められる。 ☆第19回 「教育はブラック」と言うな 先日、小さな島の学校でのお別れ会の様子がニュースに流れていた。生徒数は十数名で先生も同数の小中一貫校である。沢山の先生が3年間の任期を終え、島を離れていく。先生たちも、児童たちも涙を流し、別れを惜しんでいる。桟橋で別れのテープが海中に沈んでも、いつまでも手をふる子供たち、大漁旗の漁船でいつまでも追いかける村民の姿が見る人の心を打つ。 こうした風景はいつしか、過去のものとなっている。都心の小学校では、先生と児童との距離が離れている。小学校低学年から塾へ通い、先取り学習をしている。必然的に小学校の先生は成績下位の児童に合わせた授業にならざるを得ない。宿題を出すと保護者からクレームがくる。行事のため学校へ残すと、保護者から塾の時間に間に合わないと言われる。 教育の下支えが日本の国力を維持するために必要である。特に小学校教育が一番大切である。その小学校の先生になりたいという学生が少ない。「教育はブラック」といわれる。「教育はブラック」とある大学の先生が言い出したが、この言葉は大きな誤解を招いている。 確かに、教育現場においても、保護者対応、部活動の指導など教員の労働時間が長く、過酷な労働環境に置かれているのは事実である。こうした仕事の割には他の専門職に比べ報酬が少ないことは課題である。こうした指摘は正しい。 しかし、ブラックという形容は教育にふさわしくない。ブラックリスト、ブラック企業、ブラックマーケットなど、すべて反社会的な意味で使われている。 子供の数が少なくなっていく社会では、自分を高めるための勉強ではなく、他人に勝つための勉強になっている。ある学習塾では成績順にクラスが決められ、模擬試験の結果が廊下に貼りだされる。何時間、家で塾のために勉強したかが友達同士の話題になっている。 小学校では自分を確かめるための読書が大切になる。そうした時間が取れないのが現実である。自分を確かめる力となる言葉を身に付けることなく成長していく。ブラックという言葉を使い日本の教育を形容する大人が生まれてくる。 さきほどの小さな島の小学校に教育の原点を見て安堵している。 ☆第18回 危機管理の対応が遅い公立学校 戸田市でまたしても重大事件が発生した。自分の身を挺して児童生徒たちの命を守った60代の先生に敬意を表する。 それにしてもなぜ日本の学校はこれほどオープンなのだろうか。池田小事件を教訓として不審者の警備にもう少し厳しくなっているはずである。 不審者が堂々と学校現場に足を踏み入れることが許される環境は、児童生徒の命を守る公教育という点で課題が残る。 私が都立高校の校長をしているとき、不審者が堂々と侵入し、空き教室から生徒の財布などを抜き取られる事件が発生した。緊急職員会議を開き、情報の収集をすると、工事関係者の服装をした人が堂々と廊下を歩いていたと言う目撃情報が得られた。 工事関係者の服装をしていると、疑うことはないという盲点を突かれた犯罪である。早速、警備員の配置に関する予算請求をしたが、都の関係部署からすぐに許可が得られなかった。 私立高校だったらどうであろう。 私は私立中高一貫校も勤務した経験がある。ある日不審者が侵入し、女子更衣室にいるところを生徒によって発見された。空手部の生徒が屋上まで追い詰め、警察に突き出した。翌日、すぐ理事長は警備員の配置を決定し、校門で一般人のチェックに厳しくあたっていた。 対応の早さと言えばコロナの頃を思い出す。即、オンライン授業に切り替え、生徒の授業を確保していたのが私立学校である。公立は行政の許可が得られるまで少し遅れを取った。こうした状況を保護者はしっかり見ている。危機に対し素早 |
岩崎充益著『DX時代の21世紀型学校像』については、次の記事をご覧ください。 |
自著を語る.pdf |
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DX時代の21世紀型学校像.pdf |
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