獨協大学に5年間だけの風景があったことをご存じだろうか。 35周年記念館が完成して、体育館が解体された2000年から2005年までの間、跡地は広場として開放されたのである。事務局のアイディアであったと聞く。3棟と部室棟の間に生まれた空間を体験できたのは僅かに5年間だから、その間に在籍した学生は貴重な体験をしたと言えるだろう。 お花畑がつくられ、ベンチが置かれた。自転車置き場も設けられ広場はいつも学生の往来で賑わった。ベンチに座ると大学を南門側から見渡すことが出来て、正門からの風景が焼きついている目には、けっこう新鮮に写ったのである。 35周年記念館建設の工事車両はすべて西門から出入りした。キャンパスの中には大型車両を通すための柵などが張り巡らされ、歩行者通路も制限されたりと窮屈な生活を強いられた。新しい広場が生まれたことは、我慢していた学生にとっては思いがけないプレゼントであったかもしれない。 キャンパスには心地よい時間が漂いはじめたのであるが、それは束の間のこと。今まで以上に大規模な再開発が始まる前の静けさであった。2005年11月、天野貞祐記念館建設という大工事が始まり、この空間は消えていった。 しかし広場は蘇った。東棟の完成後、3棟が解体された跡地に2011年9月、「芝生広場」として空間が復活したのである。 (写真と文 71年卒 吉田千春) |
キャンパスに誕生した空間。名称は付いていなかったが、開放された頃はチューリップがたくさん植えられたので、勝手にお花畑と呼んだ学生などもいたらしい。緑がいっぱいというのが獨協大学生にとって自慢のひとつであったが、その中に広々とした空間が誕生した。思いっきり背伸びをしたくなるような場所であった。 (2003年5月30日) |
当時と同じ場所には天野貞祐記念館が建っており、3棟跡に少し移動して撮影した。秋の日射しは駆け足でキャンパスを横切るのだろうか、午後一番に訪れたつもりだが、早くも長い影を落としていた。 |
35周年記念館側から眺めた。旧学食が見える。広場に設けられた自転車置き場は、学生の暮らしが漂ってくるようで活気を感じる。(2005年10月13日) |
体育館や教室棟があった跡には小川や木々が人工的に配置されているが、いつしかのんびりとした雰囲気が漂い始めている。この空間の風景は、青春時代を獨協で過ごした青年にとって、もう一つのふるさととなって彼らの心に残るであろう。(現在の写真はいずれも2019年11月16日に撮影しました) |