私、堀切研一は、1972年、タバコの産地である鹿児島県霧島市(旧国分市)に生まれました。 公務員の父と看護師の母のもとで、平凡ながらも幸せな生活を送っていた学生時代でした。 中学、高校ぐらいから納得しないことはやりたくないという気持ちが強くなり、学校もさぼりがちになっていきます。 高校入学時に、大学に進学した姉の友人達である大学生が、高校時代に何をしていたかの話を聞きに福岡へ行きました。そこで、自転車で九州一周をした方に出会い、自転車でツーリングをしようと決意。高校時代に、九州一周を右回りと左回りの両方のルートで巡りました。高校卒業時は大阪までフェリーで渡り、鹿児島まで自転車で走破。 学業面では、同級生が500数名いた高校での成績はほぼ500番代と、大学入学が危ぶまれていました。大ピンチです。高校3年生のときに、受験科目が英語の1科目だけの獨協大学外国語学部に狙いを定め、英語だけを勉強し、なんとか滑り込みました。 大学2年生のときに、2万円の所持金で、ほぼ白米だけの食糧で日本縦断を実現。週に1度だけの楽しみとして、ハウス「ククレカレー」を食べていいというルールにしていたことをハウス食品の面接で話したところ、ご縁があったのか、唯一の内定をいただくことになりました。 ハウス食品入社後、金沢や名古屋で営業、名古屋で支店の販売企画部門を歴任し、30歳を過ぎて本社の開発・マーケティング部門に移動。 日本縦断時にご馳走であったククレカレーを作っている、レトルト部門の販売担当になりました。 しかし、経営やマーケティングの勉強を全くしていなかったことから、打合せやアイデア会議などで全く発言できない日々を過ごしていました。ある日、先輩から、「アイデアが出せないなら、会社に来なくていいぞ」と言われ、自分が全く社会の役に立っていないことにショックを受け失意茫然。またまた大ピンチが訪れました。 ある先輩に相談したところ、その方が中小企業診断士の資格を取得したばかりであり、この資格をとれば今の悩みを解決するのでは?との助言を受け、勉強を開始。 毎朝朝5時に起きて、平日は出社前に2時間半、休日は終日8時間の勉強をこなし、2年半で中小企業診断士資格を取得。それに伴い、周りから頼られることも増えていきました。 中小企業診断士資格取得と前後して、長男が自閉症の障害を持っていることから、家庭で仕事をすることを決意。2009年1月に独立。 独立後は、半年ほどは仕事がありませんでしたが、その後周囲の皆様のご支援により、障害者が働く作業所のコーディネーターや、地域・商店街等の活性化に携わるエリアプロデューサーなどの仕事に携わってきました。 その後、中小企業診断士の先輩から出版社に提案する機会をいただき、初めて取材記事の執筆に取り組み始めました。取材では、インタビューイの方の生き様に触れて、インタビューの楽しさを知り、その後200件以上の取材を経験しました。 取材という面白い仕事を、ぜひ中小企業診断士の仲間にも知ってもらいたいという想いで、2013年に中小企業診断士向けに「取材の学校」事業を立ち上げました。 2032年までに累計2,000人の中小企業診断士ライターを生み出し、彼らが10,000の記事を世の中に出すことを目標としています。 2016年まで、スタッフは1名だけでしたが、2016年4月にそのスタッフが在宅中心で働かなければならなくなり、今度は人材面でピンチに陥りました。そこで、新たにスタッフを募集します。 すると、子供を送りだして迎えに行くまでの4時間と短時間しか働けないけれども、非常に優秀な子育てママが多くいることがわかり、感銘を受けました。 そして2017年9月に、「ママ力(りょく)レンタル」という子育てママが働く事業を立ち上げ、営業活動に注力しています。 今思うと、ピンチに陥った時こそ、人生の分岐点であり、チャンスでもあったということです。 これからも会社経営をする上でたくさんのピンチや失敗があるかと思いますが、それをばねにして、生きていきたいと思っております。 堀切研一氏のプロフィール: ・株式会社プロデューサー・ハウス 代表取締役社長/中小企業診断士 ・1995年 外国語学部英語学科卒業 ・1995年 ハウス食品株式会社入社 ・2009年 独立開業 ・単著に『裏方力が人を動かす』(労働調査会)、共著に『合同会社設立・登記・運営がまるごとわかる本』(日本法令) ・趣味はエアロバイクを漕ぐこと ★編集子より 本文中の「ママ力(りょく)レンタル」については http://producer-house.co.jp/mama/ をご覧ください。 |